【BURRN! 1月号ちょい読み】
SCORPIONS──60周年記念の最新ライヴ・アルバムを語る
Interview:SCORPIONS
Rudolf Schenker
by Howard Johnson
世界の政治の進む方向に直接影響を与えた、おそらく唯一のバンド!
60周年を迎え、ニュー・ライヴ・アルバム「COMING HOME LIVE」リリース!
バンドのリーダーがに“peace, love, and rock’n’rollに満ちた年月”を語る!
ドイツが世界に誇る最大の音楽的輸出品であるSCORPIONSは、ハード・ロックを世界中に届け続けて60年という歳月を祝っている。その偉業を称えるべく、9月にキャリア全体を網羅するコンピレーション・アルバム「FROM THE FIRST STING」がリリースされ、間もなくダブル・ライヴ・アルバム「COMING HOME LIVE」がリリースされるが、その前にギタリストでありリーダーでもあるルドルフ・シェンカーに “peace, love, and rock’n’rollに満ちた年月” について語ってもらった。
ルドルフは、今年の8月に77歳の誕生日を祝った人物としては危険なほど元気に見える。彼は今とあるホテルの一室にいる──詳細は明かさない──のだが、全身から親しみやすさが溢れている。彼が笑う時──それは頻繁なのだが──それはまるで喜びの爆発が宇宙へ波紋を広げていくかのようである。ルドルフは第二次世界大戦後に生まれたドイツの赤ん坊達の第一波の1人として、この世に喜びをもたらすことが自分の存在理由の一部であると信じているのだと私は思う。
「俺達は新しい世代だったんだ」と彼は誇らしげな表情で語る。「武器を持って戦争をしに来たわけではなかった。ギターを携えてpeace, love, and rock’n’roll を売りに来たんだ」 SCORPIONSは実に60年もの間、独自のpeace, love, and rock’n’rollを人々に届け続けてきたわけだが、それ自体が、どんなミュージシャンであっても誇るべき偉業だ。しかし彼らは、世界の政治の進む方向に直接影響を与えたと主張できる、おそらく唯一か、あるいはごくわずかなバンドの1つでもあるのだ。
1980年代半ば、ソビエト連邦の指導者ミハイル・ゴルバチョフが、ソビエト連邦改革の試みとして政治的・文化的な開放政策を選択したことで、音楽は対立を乗り越えてより良い世界を築けると信じる東西双方の人々にとっての希望の象徴となった。1989年8月12日と13日に開催された『MOSCOW MUSIC PEACE FESTIVAL』には、7組のアクトが出演した。これは新たな友情と文化的協調の精神を物理的に具現化することを目的として企画されたイベントだった。SCORPIONS はオジー・オズボーン、MOTLEY CRUE、BON JOVIといった顔ぶれとともにこのイベントに出演した。
しかし、後になってその瞬間の途方もない意義を1曲の中に見出す先見性を持っていたのは、ドイツのこのバンドだけだった。ヴォーカリストのクラウス・マイネはモスクワに滞在していた時に “Wind Of Change” を書き上げ、それは1990年リリースのアルバム「CRAZY WORLD」に収録された。すると、1991年に最終的にソビエト連が解体へと向かう際の象徴的な“伴奏曲”として、瞬く間に世界中で受け入れられることになった。
SCORPIONS は当初この曲を英語でのみレコーディングしたが、ルドルフにはロシア語版が不可欠であることが判っていた。あちらの人々にも総てを理解してもらう必要があったからだ。クラウスは「それをやるのは難しすぎるだろう」と言っていたが、挑戦してみて、そして本当に素晴らしい仕事をやってのけた。彼が完成させたものを聴いた時、ルドルフは言った。「見てろよ。俺達はゴルバチョフから招待を受けることになる」と。そしてロシア語版があちらで大成功すると、本当に電話が来たのだ。「ゴルバチョフが君達に会いたいと言っている」という電話が……。信じられるだろうか? “Wind Of Change” は、地上で最も平和的な革命のサウンドトラックになったのだ!
ルドルフと彼の仲間である SCORPIONS にとって、ここまでのキャリアは長くクレイジーな旅だった。今やバンドの唯一のオリジナル・メンバーでもある彼は、ハノーファーから南に20キロほど行ったところにあるの小さな町ザールシュテットの自宅から、20世紀最大級の激動の政治的変革に直接関わりながら、世界中の巨大スタジアムへとその歩みを進めてきた。「鏡を見るたびに幸せな気持になるんだ」と彼は笑う。「本当に幸せだ」と。
──ルドルフ、SCORPIONSの 60周年おめでとうございます。まさに壮大な旅でした……。
ルドルフ・シェンカー(以下R):ありがとう。だが、本当に感謝すべきは父なんだ。
──そうなんですか? それは何故?
R:最初のギターを買ってくれたのが父だったからだ。しかもそれは恐怖からだった。俺が本当にオートバイを欲しがっているのではないかと怖れたんだよ。父は言った。「ギターを買ってやる。お前にオートバイを買ってやって、それで死なせるような真似はしたくないからな!」と。だから俺はギターを手に入れた。ただ正直に言えば、当時の俺はギターよりサッカーに強い興味を示していた。音楽も大好きだったけどね。中でもリトル・リチャード、エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリーといった人達が。それでギターを学ぼうとしたんだが、やがて頭の中に「自分1人だけでステージに立ってギターを弾いてもきっと楽しくない」という考えが浮かんできた。しかし、当時はグループを組むという発想自体が俺にはなかった。だからギターを置いてサッカーに戻った。そして、働きに出なきゃならない時がやってきた。
母が俺に「何をしたいのか」を尋ねたが、特に明確なものはなかった。すると母は言った。「お願いだから、せめて1つくらい “本当の仕事” を学んでちょうだい」と。母はいつもとても良くしてくれていたので、彼女の言葉に従うことに決めた。そして色々調べた末、電柱に登ってトランスを扱ったりケーブルを吊るしたりする電気技師をやってみることにしたんだ。ところがある日、フリートラントという街で仕事をしていたら、何かの拍子にケーブルが足に絡まってケガをしてしまった。そのおかげで、3ヵ月サッカーができなくなった。
その間、ドイツ北部にキャンプに出かけたんだが、そこでハンブルクから来た人達と出会ったんだ。彼らはハンブルクで演奏している4人組のイギリスのバンド──BEATLES──のことを熱く語っていた。「信じられないほど凄い」と言うので、聴いてみたくなったよ。しかし、聴いてみたところ、良いとは思ったが、正直に言えば俺の好みとは少し違っていた。
その数ヵ月後にROLLINGS TONESを知った。そちらの方が、断然俺の趣味に合っていた。あれが俺を再びギターへと引き戻した瞬間だった。そして、本気でギターに打ち込むようになったんだ。父は俺がどれほどギターに情熱を注いでいるかを見て、大いに励ましてくれたよ。「お前が本当に好きなものに献身すれば、金は後から必ず付いてくる」と言っていたな。オランダに、郵送でレッスン資料を取り寄せられるギタースクールを見付けた。紙の教材を郵便で送ってもらって、本格的にギターを学び始めた。あとザールシュテットには『DAS DEUTSCHE HAUS』というパブがあって、毎週末にバンドが演奏していたんだが、そこに足繁く通って、彼らが曲をどうやって演奏するのかを観察した。学んだことを書きとめては、家に帰って練習していた。その経験とSTONESやTHE PRETTY THINGSを聴いていたことが相俟って、自分が前へ進む唯一の道は仲間を集めてバンドを結成することだと確信するようになったんだ。
──それをどのように実行に移しましたか?
R:母のおかげだった。母は毎週教会で歌っていたんだが、ある日家に帰ってきて言ったんだ。「教会で一緒に歌っている誰かの息子が、仲間と一緒に教会の地下で音楽をやっているらしい」と。そして、その“誰かの息子”が、俺が少しギターを弾くらしいと聞いて「参加しないか?」と言ってきたんだよ。そこでその場所に行った。そして“Hippy Hippy Shake”なんかを演奏し始めて、週に1回リハーサルをするようになったんだ。だが、俺はすぐに言い始めた。「週に2回リハーサルをしよう。そうすれば、もしかしたら『Deutsche Haus 』のメイン・バンドのセットの合間に演奏できるくらいまで上達するかもしれない」と。他の連中は俺が頭がおかしくなったと思っていたが、俺にはできるという確信があった。
その頃から俺は、女の子との出会いを求めて音楽をやっているヤツと純粋に音楽をやっているヤツを見極めるようになっていった。そうやってメンバーが入れ替わりながら、やがて“本物のバンド”が形になっていったんだ。初期の段階から既に、ヴォルフガング・ジョニーがドラムを叩いていた。(ヴォルフガングは1972年にリリースの SCORPIONS の1srアルバム「LONESOME CROW」に参加することになる) 実は彼、俺が両親と暮らしていた家のすぐ隣に住んでいたんだ。
──初期のギグについて覚えていることはありますか?
R:俺達にはエルヴィスいう名のシンガーがいた。エルヴィス・プレスリーにそっくりだったから、そう呼ばれていたんだ。彼は行動力があって、「街の中央劇場でギグを開催できる」と言い出した。そしてハノーファーの有力バンドを次々にブッキングしていって、俺達もNAMELESSという名前で出演した。ただ、会場は満員になったんだが、物事は計画どおりには進まなかった。エルヴィスは本当にいいシンガーだったんだが、歌詞を覚えるのが苦手でね。歌詞を自分の帽子の内側に貼り付けておいて、必要があれば帽子を脱いで確認できるようにしていたんだよ。ところが他のバンドの連中がその帽子を見付けて、俺達の出番直前に盗んでしまった。結果、エルヴィスは頭に浮かんだことを即興で歌うしかなくなったんだ!
俺は「これでは将来性がない」と悟って、エルヴィスは脱退した。その後はヴォルフガングと俺でヴォーカルを分担していた。1965年の11月か12月には、バンド名をSCORPIONSに改名した。NAMELESSはあまりにも酷い名前だと思ったし、それに俺の中には “ドイツだけでなく海外でも通用する名前” という構想があった。俺はその頃から既に野心的だったんだ。ドイツ語の綴りの “SKORPIONS” の “K” を “C” に変えれば英語圏でも通じる。そう考えてSCORPIONSにしたんだ。
──若くしてドイツ国外の音楽シーンにそこまで強く関心を持つようになったのは何故ですか?
R:当時の俺はいつも『Radio Caroline』や『Radio Monte Carlo』といった国際放送を聴いていた。ドイツのシュラガー音楽(当時国民的人気のあった、感傷的で甘ったるいポップス)があまりにも酷かったからだ。あと、両親が旅好きで、家族でスペインやアフリカなどに行くたびに、俺は全く違う音楽を耳にしていた。常にもっと広い世界に好奇心を抱いていたし、夢は世界中で演奏することだった。1970年代初頭の段階で、俺はドイツの音楽業界誌『Riebes Fachblatt』のインタビューで、「SCORPIONSはこれからの10年で世界最大級のロック・バンドになる」と断言していたよ。俺はずっと“大きな夢を見れば、それは実現する”と信じていた。必要なのは “愚かな人間の忠告には耳を貸さないこと” だけだ。
──そこまで確信することができたのは何故ですか?
R:俺の場合、その大部分は瞑想のおかげだった。1968年にBEATLESがマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに会いにインドへ行った時、俺も精神世界に興味を持ち始めた。父からヨガを勧められたこともあって、同時に瞑想にも強く惹かれるようになっていったんだ。瞑想は “人生のハイウェイ” へと直接導いてくれる。小さな村をぐるぐる回っているうちにインスピレーションを失うことなく、自分の夢を実現するために行くべき場所へ真っすぐ進めるんだ。瞑想は強烈な集中力を与えてくれた。ある意味、狂気の域に達するほどにね。
徴兵(当時ドイツでは国防兵役が義務だった)のためにゲッティンゲンという街に行った時のことをよく覚えている。兵隊候補達が一列に並ばされて登録されている時、軍曹が俺に怒鳴ってきたんだ。「シェンカー! お前のスーツケースはどこだ!」とね。俺は言ったよ。「スーツケース? 私はここに長居するつもりはないので、何も持ってきていません。バンドをやるためにすぐ出ていきますから」と。国防兵役は、当時ドイツで多くのバンドが解散した最大の理由だった。でも、俺がバンドを続けるという意思を本気で語ったことによって、逆に彼らは協力してくれて、週末外出許可なんかを出してくれた。そう、俺が確信を持てたのは、瞑想によって「自分には夢があり、本気で望めば必ず実現する」と深く理解できていたからなんだ。
──その“前向きな瞑想”は、具体的にはどのようにしてSCORPIONSを前進させたのでしょうか?
R:1969年にクラウス(マイネ/vo)と、弟のマイケル(シェンカー/g)がバンドに加わった。他のメンバーはヴォルフガングとロタール・ハイムベルク<b>だった。そして1971年にあるギグをやったんだが、そこにたまたまイギリスの映画監督のジョン・シュレシンジャーが来ていた。彼は俺達の演奏を気に入って、反ドラッグ映画の『Das Kalte Paradies(冷たい楽園)』のために4曲提供してほしいと言ってきた。勿論俺達は「ついにチャンスが来た!」と思ったよ。
それで、録音できるスタジオを探す必要が出てきた。当時の俺はマネージャー的な役割も担っていて、ギグのブッキングなんかもやっていた。電話をかけまくって、ラルフ・アーニーと言う人物が所有するハンブルクの『Star』というスタジオを押さえた。スタジオに行ってみると、卓に座っていたのは、なんとコンニ—・プランク(クラウト・ロックの名プロデューサー)だった! その頃のコンニ—は超ヘヴィスモーカーで、煙がもうもうと立ち込める中でレコーディングしたよ。
作業をしている間、スタジオからガラス越しにコントロール・ルームの中が見えたんだが、そこにはコンニ—の他にもう2人いた。フランク・ドステル<vo>とディッキー・タラッハ<ds>、ドイツのビート・バンド、THE RATTLES のメンバーだ。2人は何かについて真剣に話しているようだったが、俺達には聞こえない。レコーディングが終わった後で判ったのは、どうやら彼らは俺達の演奏が気に入ったらしくて、コンニ—に「次は『Metronome』がハンブルクで立ち上げようとしている新レーベルの『Brain』のために彼らのレコーディングをやるべきだ」と強く働きかけていたということだった。そしてセッションが終わった直後にコンニ—に「アルバムをプロデュースしたい」と言われて、1971年10月に彼と「LONESOME CROW」をレコーディングすることになったんだ。」
──「ついに俺達の時代が来た」と思ったのではありませんか?
R:7日間でレコーディングして、多分その間にミックスもしなきゃならなかったと思う。そして総てが終わった時、コンニ—が言ったんだ。「これが契約書だ。俺がプロデュースしてスタジオもタダで取ってやったんだから、その見返りにサインしてもらう」とね。俺は「これはパブリッシング契約か? 楽曲の権利に関する契約か?」と訊いたよ。すると彼は「そうだ」と言った。だから俺は「サインはできない」と言ったんだ。俺達は長期的なプランとしてアメリカで活動するつもりだったし、そのためにはインターナショナルな契約が必要になると考えていたからだ。コンニ—は笑いながら「アメリカにどれだけ凄いミュージシャンがいるか判っているのか?」と言った。俺は「勿論判っている。だとしても、俺達はアメリカでやることを望んでいるんだ」と言った。俺達の決意はどうやらコンニ—に響いたようで、最終的に彼は引き下がって「スタジオ代は『Brain』に払わせるから問題ない」と言ってくれたんだ。
続きはBURRN! 2025年1月号で!
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2. Cub The A.I.
3. 老害ロック
4. Next Is The Best!
5. 地獄のMaking Love
6. Oblivion
7. Season II Has Come!
8. Previous Episodes -これまでの物語-
9. 2085
10. I See You!
11. Queen Rouge
12. Galaxy Of Black Hole
13. Is Everything In Reverse? (Type β)
14. Season IIのテーマ (Instrumental)
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THE WORLD'S HEAVIEST HEAVY METAL MAGAZINE
BURRN! 2026年1月号
<EXCLUSIVE COVER STORY:巻頭特集>
◆聖飢魔II
期間限定再集結大黒ミサツアーのファイナルを迎え、ツアー続行を宣言! 大教典「Season Ⅱ」制作秘話と充実の40周年を語る最新独占会見!!
<EXCLUSIVE LIVE REPORT:海外ライヴ・リポート>
◆BRUCE DICKINSON
「THE MANDRAKE PROJECT」で二度廻った北米ツアーの最終公演!
<EXCLUSIVE INTERVIEW:インタビュー記事>
◆SCORPIONS
最新ライヴ作品を発表したバンドのリーダーが結成からの60年を語る!
◆ERIC MARTIN
ソロ来日目前! MR.BIGの “フィナーレ” 以降味わった悲喜こもごもとは!?
◆SLASH
自ら企画した昨年夏のブルーズ・フェス・ツアーよりライヴ作品をリリース!
◆MAMMOTH
ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンが全パートをこなして3作目を発表!
◆ALTER BRIDGE
2号連続インタビュー後編:マーク・トレモンティが新作制作の裏側を語る!
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◆人間椅子
第24作「まほろば」の制作背景を、人生の節目を迎えつつある3人が語り尽くす!
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始動10周年を迎えたガールズ・スチームパンク・メタル楽団、初のベスト盤!
<SPECIAL EDITION:特別企画>
◆追悼:エース・フレーリー
地獄の軍団KISSのオリジナル・ギタリストの生涯と功績を振り返る緊急企画!
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シャリー・フォグリオ記者によるオジー・オズボーン追想コラム連載スタート!
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シャリー・フォグリオ記者が周辺の人々に取材して綴るロニー回想録、第64回!
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英国人記者ハワード・ジョンソンの回顧録:STATETROOPER
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