藤木昌生の密かな楽しみ Vol.9 ~ 男と女の話

先月、オリアンティ<vo,g>に関するニュースをBURRN! ONLINEにアップした際に、記事の見出しを「人気女性ハード・ロッカーのオリアンティが7月にライヴCD/DVD/Blu-rayをリリース! 先行MVが公開中!」として、それをツイッターに投稿したところ、それを引用リツイートしてくれた方が「こういうところでわざわざ『女性』と書かないようにするところから始めないとね」というコメントを添えていて、ああやっぱり来たかと思った。

いや、僕も一瞬迷ったのだ。記事に見出しを付ける際に”女性”を付けるべきかどうか。オリアンティに限らず、女性アーティストに関してはそういうことで一瞬迷うことはこれまでもあった。そのリツイートしてくれた方の言わんとすることはよく理解できる。「なんでわざわざ”女性”って付けるわけ? ミュージシャンは音楽そのもので判断・評価されるべきであって、男か女かは関係ないでしょ。そういうところに差別意識が…」ということなんだと思う。世間でも、ひと昔前なら至る所で目にしていた「女性医師」「女性弁護士」「女性議員」といった表現に対して、「わざわざ”女性”を付けるのは最初から何らかの色眼鏡で見ているからだ。差別意識の表われだ」と問題視する声が高まって、あらゆる肩書きに”女性”を付けない方向に世の中がシフトしている。そのことには僕も特に異論はないし、理にかなった世の中の動きだと思う。

ただ、ことエンターテインメントの世界においては、事情が違うんじゃないかという気がする。何故なら、エンタメ界において、男性であるか女性であるかは商品の付加価値になる要素だし、消費者の関心を引くか否かを左右する重要なキーワードでもあると思うからだ。

医師や弁護士なら性別に関係なくその能力が最も重要になってくるが、エンタメでは能力も重要であるとはいえ、それ以上に消費者に興味を持ってもらってナンボ、売れてナンボの世界である。もっと言ってしまえば、能力がそれほど高くなくても(たとえば歌唱力や演技力や今ひとつでも)、多くの人々の興味を引き付けたら勝ちだし、愛されたら勝ちだし、売れたら勝ちなのだ。能力で売れる人もいれば、それ以外の要素で売れる人もいる。

そして、エンタメ界においては商品に”女性”と付くことで興味を持つ人は間違いなく存在する。多くの場合、それは男性消費者だろうが、”女性”に興味を持つ女性消費者も存在する。男性の女性に対する意識と女性の女性に対する意識は違うものだ。逆に、”女性”と付いたことで興味を失う消費者も当然いるだろうし、それは男女共にいるだろう。

オリアンティの記事にあえて”女性”を付けたもう1つの理由は、BURRN!(ONLINE)の読者層は殆どが40代以上で、メインは50代以上。自分が若い頃にハマったアーティストは追いかけているし、その時代のアーティストの知識は頭に入っているが、ここ10~20年に出てきたアーティストのことはよく知らない、という人も多い。だから、オリアンティにも”女性”を付けた方がいいと判断したのだ。これがDOROや浜田麻里だったら、”女性”を付ける必要はなかった。

先ほど、”女性”と付くことで興味を持つ消費者もいるし、興味を失う消費者もいると書いたが、これは差別云々ではなく、好き嫌いの問題だと思う。女性アーティストだから聴きたい・観たいと思う消費者もれいば、女性アーティストは最初から相手にしないという消費者もいるだろうし、男女関係なく良いものを聴きたい・観たいという消費者もいるだろう。

エンタメ界の商品説明に”女性”と付けるのは、その商品の魅力やセールスポイントの1つを明記することであり、女性ものの商品に興味がある消費者への呼びかけであって、差別でも何でもないと思う。別に”女性”と明記することで、「ほら、お前らの好きなオッパイの谷間が見れるぞ」みたいに性的好奇心を煽ってるわけじゃない。(笑) まあ、中にはそういうのを瞬時に期待する消費者もいるかもしれないけど。

エンタメ界でアーティストを好きになる・ファンになるというのは(医師や弁護士のような)能力の問題だけではない。勿論、明確に能力至上主義みたいなリスナーもいて、「歌や演奏があるレヴェルに達していないアーティストは評価しないし、ファンにならない」というスタンスの人もいるだろうが、多くの人々の感覚はもっとイージーというか、恋愛に近いというか、何となくフィーリングが合ったとか、容姿に好感を持ったとか(顔や身体の造りだけでなく、髪型や服装の雰囲気なども含めて)、そういう理由でファンになることの方が多いのではないか。女性消費者なら男性アーティストのパフォーマンスを聴いたり観たりしてときめくケースが多いだろうし、男性消費者なら女性アーティストを聴いたり観たりして心を動かされることが多いと思う。それはどんな音楽ジャンルにも当てはまると思うし、HM/HRも例外ではない。

要は、性欲なのだ。世の中の人間の消費行動は性欲に左右されている部分はかなり大きくて、人々が聴く音楽を選ぶ際にも性欲が働くケースは多いと思う。あ、性欲という言葉に過剰反応して、「性欲だと!? ふざけんな、自分はそんな不純な動機で音楽を聴いたりはしないぞ!」と憤慨する人もいるかもしれなけど、あま落ち着いてください。(笑) 性欲というのは別に肉体的なことだけではなく、精神的な部分も含めてのことであって、たとえば「あそこのカフェのあの店員さん素敵だな」と心をときめかせるのも性欲だし、どっかのポップ・グループのダンスを観て「カッコイイ~!」「カワイイ~!」と思うのも性欲。だから、(無意識的にでも)性欲によって聴く音楽を取捨選択するのは別に不純でも何でもないことだと思う。

ちょっと話は逸れるかもしれないが、女性ヴォーカルのメタル・バンドや女性メタル・バンドの勢力がどんどん増してきた2010年代以降(海外では2000年代以降か)、そういった「女性もの」ばかりを好んで聴いたり観たりしている男性リスナーに対して揶揄したり、ちょっと軽蔑気味に見たりする女性を時々目にしてきたが、僕は「それってお互い様じゃないの?」と思っていた。

昔はHM/HRと言えば95%ぐらいは男性アーティストで、女性アーティストはほんのわずかな例外的存在だった。だから、女性リスナーが聴く対象が男性アーティストだけだったとしてもそれは自然なことだったし、「女性アーティストを除外して男性アーティストだけを選んで聴いている」という図式は見えてこなかった。そもそもHM/HRのアーティストはほぼすべて男性なのだから。しかし、現在のようにHM/HR内のあらゆるジャンルにおいて女性アーティストが台頭してきてその数が増えてくると、「男性アーティストは聴くけど、女性アーティストには興味を示さない」という女性リスナーが多数存在する事実が浮き彫りになってくる。

僕のまわりでも、女性もののHM/HRに興味がないと思しき女性リスナーは何人も見てきた。一般のリスナーだけでなく、この業界で働くプロ(?)でもそういう指向の人はいる。中には「私は女性ものは嫌いだから」とハッキリ言う女性もいて、つまり音楽のクオリティ云々ではなく「女性がやってるものは聴きたくない」と宣言してるわけで、それはそれで潔くてナイスだと思う。ただ、そういう一部の人を除いては、一応「性別に関係なく良いものは聴くし、ちゃんと評価しますよ」という姿勢のようで、確かに良質の女性アーティストの作品(女性シンガー+男性バンドみたいなアーティストも含めて)に関して意見や感想を求めると「良いね」「上手いね」と評価はしてくれるのだが、自ら進んで聴こうとしないし、観ようとしないし、CDを買おうともしない。

例えば、パワー・メタル系が大好きな女性リスナーで、男性アーティストのものは結構マニアックなバンドまでCDを買ったりするのに、女性シンガーのパワー・メタル・バンドの場合は曲や演奏や歌が素晴らしくても、ほとんど興味を示さなかったりする。たぶん、対象が女性だと熱くなれないし、ときめかないんだと思う。

逆に、男性リスナーの場合、昔はHM/HRを聴くなら男性アーティストしかいなかったから、それを聴くしかなかったわけだが、今は女性のHM/HRアーティストがこれだけ増えてきた。選べるぐらいに増えてきた。女性ものを聴いたり観たりしていると、男性ものを聴いたり観たりしていた時にはなかったエキサイトメントが感じられる。それで、もっぱら女性アーティストばかりを聴くようになる人もいるだろう。勿論、従来の男性アーティストも聴いて芸術的満足度を得つつ、女性アーティストも聴いて芸術的満足度+性欲の充足を得ている人もいると思う。

僕が長年色々なHM/HRファンと接触したり見たりしてきた印象からすると、男性リスナーで女性アーティストにしか興味がないリスナーと、女性リスナーで男性アーティストにしか興味がないリスナーとを比べると、後者の方が断然多い気がするんだけど、いかがでしょう? 後者は、さっきも言ったように、ここ十数年で女性アーティストの数がどんどん増えてきたからこそ浮き彫りになってきた存在なわけですが…。

くれぐれも言っておきますが、特定の条件のアーティストにしか興味を示さないのがダメだというわけではありません。性別や国籍に関係なくあらゆるアーティストに興味を持てて、評価もできて、ファンになれる方がラッキーだとは思いますが、さっきも言ったように、アーティストを好きになるというのは恋愛みたいなもの。「ラーメンとカレーライスには目がないけど、魚介類は苦手で全然食べない」という人に対して、「刺身の美味さが判らないようじゃダメだ。食べ物について語る資格はない」なんて言うのは大きなお世話でしかない。

そういえば、女性ものを避ける女性リスナーの中には、「女性の声が好きじゃないから」と理由付けする人も少なくないけど、果たして声の響きだけが本当の理由なのか?と僕は思ってしまう。HM/HRはあらゆる音楽ジャンルの中でも最もヴォーカルの性差が小さいジャンルだろう。エリック・マーティンやトニー・ハーネルなんかは女性的な声を持ったシンガーだと思うし、特にハイトーンを駆使する(男性が女性の声域で歌う)パワー・メタル系や、まさに性差が乏しいデス声などは、あらかじめシンガーの性別情報がなければ、歌っているのが男か女か判別が難しいケースもある。(現状まだ女性シンガーよりも男性シンガーの数が多いので、まずは男性だという先入観から入るのだろうが) そういった中で、「女性(的な)の声が好きじゃないから」という理由がそれほど説得力を持つだろうか?と…。基本的に女性ものは聴かないけど男性的な声の女性シンガーならOKとか、男性シンガーでも女性的な声の人はNG、みたいな女性リスナーは僕は出会った記憶がない。やっぱり、女性の声であるか否か、ではなく、女性であるかどうか、で判断しているように僕には思えるのだが…。

とまあ、色々と書いてきましたが、こういうことを書くと、「自分はお前が言ってるタイプのリスナーじゃないぞ。勝手に決めつけるな。お前こそ差別主義者だ」みたいな反応を示す人がいるのが毎度お馴染みのパターンなんですが(笑)、僕はすべての人がそうだと言ってるわけじゃないし、「僕の経験上、そういう傾向があるように感じている」と言ってるだけなんです。あなたがアーティストの性別に関係なく純粋に音楽的価値だけですべてを取捨選択・評価できるのであれば、それは素晴らしいことじゃないですか。僕もできるだけそうあれればと思っています。

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