訃報:元DARK TRANQUILLITYのフレドリック・ヨハンソンが癌のため47歳で他界

スウェーデンの叙情デス・メタル・バンドDARK TRANQUILLITYに1993年から1999年まで在籍し、バンドの最高傑作とされる2nd「THE GALLERY」にも貢献したフレドリック・ヨハンソン<g>が1月25日、3年におよぶ癌との闘病生活の末、天国へと旅立った。47歳だった。

この訃報はDARK TRANQUILLITYのSNSを通じて発表されたもので、バンドを代表してミカエル・スタンネ<vo>が以下のようなコメントを投稿した。

「俺達の中の1人が逝ってしまった。

フレドリック・ヨハンソンが、3年にもおよぶ癌との闘病の末、1月25日に亡くなった。

彼は1st『SKYDANCER』のレコーディング直後にDARK TRANQUILLITYに加入した。彼が俺の後任ギタリストとして加入してくれて俺はヴォーカルに転向できたんだけど、そのおかげでバンドのレヴェルが上がり、方向性も定まった。彼がもたらした影響と情熱は間違いなく強烈なものだったよ。彼と一緒に初めて書いた曲は最終的に”Punish My Heaven”と呼ばれることになったけど、それによって俺達はずっと夢見ていた道を歩めるようになったんだ。

フレドリックはめちゃくちゃ愉快なヤツで、頭が切れてインテリジェントだったから、そのポジティヴでウィットに富んだ会話で俺達を楽しませてくれた。一方で、浅はかな議論や意見があると、彼は熟考と博識に裏付けられた理論でそれを一蹴した。彼のユーモアのセンスと探求心はちょくちょく馬鹿げたクレイジーな世界に突入することもあったけど、それは永遠に忘れられない思い出だよ。

フレドリックは家族との生活を優先するため1999年に脱退したけど、その後も俺達の大ファンでいてくれたし、厳しい批評家でいてくれた。俺達の音楽的方向性に対する彼の洞察は素晴らしかったし、彼がかつて共に音楽作りをした仲間のやることに常に耳を傾けてくれていたことは俺達にとって本当に意味のあることだった。

彼の人柄を物語る最近のエピソードとしては、2020年に『MOMENT』のリリースに伴う配信ライヴをやった時の話がある。リリースの数週間前、フレドリックは俺達のフェイスブックを訪れて、クレジット・カードが使えないファンや単純にチケットを買う金がないファンも配信ライヴを観られるようにするべきだ、その分の金は自分が払うから、と申し出てくれたんだ。彼は取り残されたファンが出たらいけないと考えたんだ。彼はそういう男なんだよ。

彼がいなくなったら俺達の世界は大きく変わってしまうし、あの彼と過ごした興味深くて愉快な世界ではなくなってしまうだろう。DARK TRANQUILLITYファミリーを代表して言わせてもらうよ。フレドリック、俺達は君のことが大好きだし、永遠に君のことを恋しく思い続けるよ。

俺達は今日からUSツアーを始めるけど、フレドリックが書いたり関わったりしてくれた曲をプレイすることで、彼の名前と音楽的遺産を生かし続けていく。彼は俺達の仲間だし、俺達は彼を愛しているんだ。

フレドリックがよく『It is what it is, and what will be will be(現状を受け入れるしかないし、今後もなるようにしかならない) 』と言っていたけど、それは、今の状況は一時的なものに過ぎないわけだから、素晴らしい人とのつながりを最大限に活かして、そばにいてくれる人々を大切にしなければいけない、ということを我々に思い出させてくれる言葉かもしれないね。

フレデリックの奥さんと3人の娘さんたちへ、俺達全員からたくさんの愛を込めて」


フレドリックがDARK TRANQUILLITY時代に参加した作品は下記のとおり。
EP「OF CHAOS AND ETERNAL NIGHT」(1995年)
2nd「SKYDANCER」(1995年)
EP「ENTER SUICIDAL ANGELS」(1996年)
3rd「THE MIND'S I」(1997年)
4th「PROJECTOR」(1999年)

謹んでご冥福をお祈りいたします。
この記事についてのコメントコメントを投稿

この記事へのコメントはまだありません

エクストリーム・メタル ディスク・ガイド

エクストリーム・メタル ディスク・ガイド

2,970円
スラッシュ/ハードコア/スピード・メタル ディスク・ガイド

スラッシュ/ハードコア/スピード・メタル ディスク・ガイド

2,750円

RELATED POSTS

関連記事

LATEST POSTS

最新記事

ページトップ