【訃報】VENOMのクロノスことコンラッド・ラント、享年63
クロノスはNWOBHM の聖地として知られる “Neat Records” が使用するインパルス・スタジオでエンジニアの手伝いをしていたことがあり、当時の名盤誕生の現場に居合わせたこともあったはず。そんなNWOBHMの流れで頭角を現したVENOMだが、多種多様なバンドが混在していたシーンの中でも異端ぶりは突出しており、その破滅的な音楽性はスラッシュ・メタルの興隆を招くこととなり、そこから派生していったデス・メタルの始祖のひとつとしても認知されるようになった。そしてメンバー自身も「曲のタイトルがそのままジャンル名になった」と胸を張るように、ブラック・メタルという概念を生み出した。VENOMから影響を受けつつ、VENOMよりも商業的に売れたバンドは星の数ほど存在するが、これに匹敵する偉業を成し遂げるのは極めて難しいだろう。
VENOMはエクストリーム・メタルの元祖として崇められながら、メンバー間の内部闘争が相次いで多難な運命を辿ったバンドでもあった。1988年、クロノスは当時のVENOMのメンバーだったギタリスト2人を引き連れてバンドを飛び出し、CRONOSを結成する。
1995年にはクロノス、マンタス、アバドンのオリジナル・ラインナップが復活するも、程なくして崩壊し、2000年代初頭にオリジナル・メンバーはクロノス1人だけとなってしまった。その後、クロノス不在時のメンバーのリユニオンからVENOM INC.が生まれたり、そこから離脱したマンタスとアバドンが再び手を組んだりと分裂が進む中、四半世紀近くにわたってクロノスはVENOMの看板を背負い続けた。最近でもバンドのロゴの所有権などを巡って法廷闘争が起きるなど、旧メンバーたちとの確執を解消できなかったこと、これは世界中のファンも無念の思いを抱いていることだろう。
また “クロノスのVENOM” は日本から遠いバンドのまま終わってしまった。1987の初来日時に不在だったマンタスは、自身のM-PIRE OF EVILやVENOM INC.で来日、そこにアバドンもセットで出演することもあった。しかし本家VENOMは2006年の “THRASH DOMINATION” の開催直前に来日取り止め、2014年の “KABUTO METAL” も突然のキャンセルによりイベントそのものが中止に。結局クロノス日本のステージに立ったのは初来日時の1回だけ。一度でいいから生で見たかった…。
長らく対立関係にあったマンタスも、盟友の死に暖かいメッセージを送っている。
「皆からの温かい気持ちと哀悼の意に、心より感謝したい。
皆からの感謝と哀悼の意は、まさに当然のことだと感じている。
俺と、本日話をしたアバドンを代表して言うが、このバンドの波乱に満ちた歴史にもかかわらず、最終的に特別な何かを始め、俺たちが知るメタルという音楽の方向性、ムーブメント、そして歴史を変えたのは、他ならぬ俺たち3人だった。
2日前に訃報を知ったが、コンラッドのご家族の同意と意向がなければ、誰にも何も言えず、そのことを尊重していた。
このような時、俺が思い出すのは、初期の頃の俺たちの友情、一人は皆のために、皆は一人のためにという精神、反骨精神、そして受け入れられるかどうかに関わらず、何か全く違う存在になりたいという強い衝動だった。
今でも、俺たち3人がただ馬鹿げたことを言い合って笑っている初期のビデオ映像をたくさん持っている。入れたちのユーモアのセンスは、最初は少し理解しにくいものだったかもしれない。
数えきれないほどのメッセージをくださった皆さん、本当にありがとう。これまでに言った通り、バンドの歴史、口論、罵り合い、浮き沈み、そしてバンドの不和など、様々なことがあったが、今回の訃報はやはり胸に突き刺さる。
明日また話をしよう、友よ。
Rest In Power.
コンラッド・クロノス・ラント」
こちらのファン撮影動画は、今年のサマー・フェスティヴァル・シーズンにVENOMが行なった最後から2つ目のショウである、“Sweden Rock Festival” 出演時のパフォーマンス。死の影など全く見えないほど元気そうだが…。
フィットネスのインストラクターやIT事業に携わるなど多彩な一面を持ちつつ、あくまで邪悪のカリスマ像を貫き続けた45年のプロ・キャリアに想いを馳せながら、安らかなる眠りをお祈りさせていただきます。
「WELCOME TO HELL」
1981年
「BLACK METAL」
1982年
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