L7のジェニファー・フィンチ、進行性の脳腫瘍のため死去
商品情報 L7『Smell the Magic』Amazon Music(SEP 01 1990)
※1990年発表の2作目。右端がジェニファー・フィンチ。
7月18日、L7のベーシスト、ジェニファー・フィンチが亡くなりました。享年59。
フィンチは2011年に甲状腺がんと診断され、先頃進行性の脳腫瘍と診断されたことを公表、支援者たちによる治療費のクラウドファンディングが開始されたばかりでした。L7のメンバーたちは同日、インスタグラムを通じてその死を伝え、「愛すべきバンドメイトであり、友人であり、トラブルメーカー仲間だった」彼女を悼みました。「彼女は脳腫瘍と長く勇敢に闘い、世界中の多くの素晴らしい友人や音楽仲間、ファンから愛を捧げられていました」
バンドはメディアに寄せた長文の声明でこう綴っています。「私たちは最愛のバンドメイトであり、姉妹であり、友人であるジェニファー・フィンチを喪い、打ちのめされています。彼女の不屈の精神、ユーモア、そして限りない創造性は、L7を形作り、私たち全員の人生を永遠に変えてくれました。ジェニファーは最後まで自分らしい生き方を貫き通した、真に独創的な人物でした。彼女が音楽やアートを通じて、また彼女自身を知る幸運に恵まれたことで全ての人々に与えた影響は測り知れません。私たちは言葉では言い尽くせないほど彼女を愛しており、これからもずっと彼女の存在を心に抱いて、バンドを続けて行きます。愛する友よ、その力と共にどうか安らかに。愛をこめて、L7より」
フィンチは当初脳腫瘍と診断された際、放射線治療で寛解を目指す方針を告げられましたが、時間の経過と共に「予期せぬ合併症」が生じ、度重なる手術を受けることとなりました。これらの手術による深刻な身体的制限のため、手厚い医療ケアが必要となり、これを受けてL7のバンドメンバーたちは、フィンチの今後の医療費や在宅ケアの費用を賄うため、GoFundMeでクラウドファンディングを開始し、協力を呼び掛けていました。
1966年8月5日生まれのフィンチは、ロサンジェルスの養父母の元で育ち、年端も行かない頃から写真撮影に関心を示し、間もなくザ・クランプスやバッド・レリジョンといったバンドを撮り始め、身の回りで盛り上がりつつあった初期のパンク・シーンを頻繁に記録していたと言います。年齢を重ねる毎に、彼女は地元の音楽シーンにさらに深く傾倒していきました(目のいい方なら、1981年のドキュメンタリー映画『The Decline of Western Civilization』の観客の中に彼女の姿を見つけられることでしょう)。そして1984年、彼女はコートニー・ラブ率いるシュガー・ベイビー・ドールに加入し、更にその2年後にはガレージ・パンク・バンド、ザ・パンドラズに加入しています。
1985年にヴォーカル兼ギタリストのスージー・ガードナーとドニータ・スパークスによって結成されたL7は、1986年にドラマーのディー・プラカスとフィンチを加えて正式に4ピースのバンドの形となりました。バンドメイトたちによれば、フィンチは正式にはベースの演奏方法を知らなかったにもかかわらず、「粘り強い」決意をもってバンドに加入したのだそうです。L7がLA周辺でライヴ活動を展開する中、フィンチが長年築いてきた地元の知人やミュージシャン仲間たちとの人脈を活かしたことでバンドの地位は高まり、やがて彼女たちの存在はLAの音楽シーンの一角を占めるようになっていったのです。
第一期の活動期間中、L7は6枚のアルバムをリリースしており、フィンチはそのうち1988年のバンド名を冠したデビュー作、1990年の『Smell the Magic』、1992年にブレイクを果たした代表作『Bricks Are Heavy』、そして1994年の『Hungry for Stink』に参加しています。L7は女性の権利やフェミニズム運動全般を声高に擁護し、その影響力を活かして政治的な変革推進を図り、1991年には『Rock for Choice』コンサートの開催にも主導的役割を果たしました。バンド最大のクロスオーヴァー・ヒットは「Pretend We’re Dead」で、曲調こそ陽気なこのシングルは、ともすれば女性を脇に追いやろうとする政治的・社会経済的構造を嘆く内容であり、ビルボード誌のモダン・ロック・チャートでトップ10入りを果たしています。
1996年、フィンチはバンドを脱退しましたが、L7はグレタ・ブリンクマンを後任として活動を続け、1997年にはベリーのゲイル・グリーンウッド、1999年にはジャニス・タナカが取って代わりました。フィンチ自身はその後、アザースターピープルとザ・ショッカーという2つのバンドを渡り歩き、自主レーベルのLittle Pusher Recordsを発足させ、更にはフォトグラファーとして多忙な日々を送っていました。
2014年に再結成を計画していることを公表した翌年、L7はフィンチを再びメンバーに加えて大規模な再結成ツアーを行い、バンドとして正式に活動を再開しました。彼女たちは「Dispatch From Mar-a-Lago」や「I Came Back to Bitch」など、相変わらず挑発的な歌詞をフィーチュアした新曲の制作に着手し、彼女たちを主役としたサラ・プライス監督によるドキュメンタリー『L7: Pretend We’re Dead』も製作されました。そして2019年、L7は20年ぶりのアルバム『Scatter the Rats』をリリースしたのです。
「L7はまだ終わってなんかいないわよ。私は今50代だけど、今でも私たちはお手本になれるんだから」とフィンチは昨年、『Guitar World』誌に語っていました。「でもそれと同時に、今の私たちは20代の頃にはできなかったような形で、公の場で堂々と失敗して見せることもできるわけ。誰かがギターを手に取るのに、自分が直接的なきっかけを作ったなんて思ったことは一度もないけどね――ギターを手に取るんならテメエの意志でやるんだよ! やるかやらないかなんて、結局その人次第なんだからさ。でも私はね、特に女性たちから、『あなたたちがいたから政治の世界に入ったの』とか、『あなたたちのおかげで医学の学位が取れたわ』とか言われると、本当に心温まるものを感じるの。分かるでしょ、自分の暮らす家の権利を手にするために戦うなんて、最高に凄いことなんだから」
L7は昨年、ロサンジェルスのザ・ベラスコで結成40周年を祝うスペシャル・コンサートを開催したところでした。彼女たちはフィンチの病気が発覚する前から、この秋に『Last Hurrah』(最後のお祭り)と題したバンド最後のツアーを行う予定でしたが、脳腫瘍の診断が下りた後、フィンチ本人からその実施を促されたことを受け、当初のスケジュール通りにツアーを決行するとのことです。
土曜日の訃報に接し、数え切れないほどのミュージシャンたちがフィンチへの哀悼の意を表し、ザ・ゴー・ゴーズのキャスリン・バレンタイン、ガーヴィッジ、ルナチックス、そしてサークル・ジャークスのグレッグ・ヘットソンらをはじめとする心温まる追悼メッセージが寄せられています。トム・モレロは自身のインスタグラムにこう綴りました:「L7のベーシストであり、あらゆる面で素晴らしい人物だったジェニファー・フィンチに神の祝福あれ。彼女はとてつもなくクールな存在でありながら、俺みたいな内向的でオタクな人間を偏見なく、温かい心と敬意を持ってロサンジェルスに迎え入れてくれた。彼女はLAシーンの重要な存在であり、尊敬する友人だった。彼女の不在は多くの人々に惜しまれることだろう」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
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