6月1日(日)@タワーレコード横浜ビブレ店

『BURRN! PRESENTS 追悼:ジョン・サイクス』発売記念

広瀬和生編集長 × 増田勇一氏トーク・イベント・レポート

BURRN! 歴代スタッフが集結!! 総力結集で作り上げた一冊を語る

写真左より増田勇一氏、広瀬和生編集長。

去る5月29日に発売された『BURRN! PRESENTS 追悼:ジョン・サイクス』が大きな反響を集め、早くも重版を迎えている。その発売を記念して、タワーレコード横浜ビブレ店では約半月にわたり特設コーナーが設けられ、実際に誌面にも掲載されているウィリアム・ヘイムス氏の撮影による額装写真などを提示。期間限定とはいえ多くのファンがその場を訪れていた。また、6月1日(日)には『BURRN!』の広瀬和生編集長と増田勇一氏(音楽評論家)によるトーク・イベントも開催され、店内のイベントスペースは満員の盛況に。今回は特別に、その際のやりとりの一部をお届けしよう。

広瀬:ジョン・サイクスが亡くなったと聞いた時は非常にショックでした。その際、『BURRN!』本誌で増田さんに追悼原稿を書いていただいて、僕自身も改めて彼という存在の特別さを実感し、急遽、この『追悼:ジョン・サイクス』の制作を決めたわけなんです。そこで増田さんには寄稿だけではなく編集もお手伝いいただいたわけですが、増田さん自身はそもそもリスナーとしてはどのようにしてジョン・サイクスと知ったんですか?
増田:不思議なもので取材者としては本当に縁がなく、一度も対面したことがないんですが、その存在を知ったのは、彼がタイガーズ・オブ・パンタンに加入した頃ということになりますね。当時はまだ『BURRN!』も創刊していませんし、『MUSIC LIFE』でもさほど大きく取り上げられてはいませんでしたけど、イギリスの『KERRANG!』誌なども購読していたので、その誌面で「若くてルックスのいいギタリストが入ったこと」を知ったように思います。
広瀬:いわゆるニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル当時の話ですよね。正直、当時の僕はあまりあの界隈には興味がなかったんですよ。ただ、タイガーズ・オブ・パンタンについては『スペルバウンド』を聴いて「これだよ、これが新しい時代のヘヴィ・メタルだ!」と感じた記憶があります。しかもギターもめちゃくちゃ上手い。
増田:それが新加入のジョン・サイクスだったわけですよね。彼とヴォーカルのジョン・デヴァリルが2ndアルバムの『スペルバウンド』から加わって、バンド自体が見違えるようになっていたんですよね。

広瀬:ええ。ただ、当時の僕は音楽専門誌もほとんど読んでいなかったので、そのギタリストがほどなく脱退して、シン・リジィに加わったことも知らずにいたんです。
増田:彼は初来日公演直前にタイガーズ・オブ・パンタンを辞めてしまったわけですけど、あの時はガッカリさせられたものです。ただ、彼の加入後にシン・リジィが発表した『サンダー・アンド・ライトニング』は聴きまくりましたし、来日公演にも通いました。あの作品はシン・リジィの中でもいちばんメタル色が強いじゃないですか。若手ギタリストが加わっただけでこんなにも変わるものなのか、と驚かされた記憶があります。
広瀬:『スペルバウンド』もそうでしたけど、『サンダー・アンド・ライトニング』も1曲目から「来たー!」というインパクトがありますよね。当時は伊藤政則さんの『サウンドハウス』でもかかりまくっていました。しかし残念なことにシン・リジィのあのツアーは、フェアウェル・ツアーだったわけですよね。そのあたりの事情は当時とても不明瞭でしたけど、結果的にジョン・サイクスはその後、ホワイトスネイクに加わることになる。ただ、この本を読んでいただくとわかるんですが、彼は、本当はホワイトスネイクには行きたくなかったんですよね。ただ、断りきれないほどの金額を提示され、シン・リジィのフィル・ライノットからも加入を勧められた。ジョン自身は、本心ではフィルとの活動を続けることを望んでいたようですが。
増田:ええ。今回の本にはさまざまな時期のインタビューの再録記事や、所縁深い人たちによる証言なども掲載されていますけど、そういった記事の端々からもそれは伝わってきます。
広瀬:ジョン・サイクスにとってフィル・ライノットがいかに特別な存在だったかがわかりますよね。それこそホワイトスネイクからの離脱後、もしもフィルが存命であったならば(彼は1986年に他界)、違った未来があったのかもしれない。それが叶わなかったことが彼にとってのいちばんの悲劇だったのかもしれません。
増田:本当に不運としか言いようがありませんよね。飛躍のチャンスが巡ってきたかと思えば、皮肉なタイミングで悲劇に見舞われる。そんな連続だったようにも思います。
広瀬:才能にも容姿にも恵まれ、何もかも持っているはずなのに運だけがなかった。ランディ・ローズにもそういったところがありますよね。彼があんなに早く亡くなることがなかったら、オジー・オズボーンの物語もまた違ったものになっていたかもしれません。
増田:ええ。実のところフィル・ライノットもさまざまな問題を抱えていたわけですし、仮にジョン・サイクスが彼と長く活動を続けていたとしても、もしかしたら仲たがいするような局面を迎えていたのかもしれません。ただ、ジョン自身の過去の発言からも、フィルと共にしてきた時間を彼自身がどれほど大切に思っていたか、彼と過ごしてきた経験がいかに重要だったと考えていたかが伝わってきます。
広瀬:ええ。しかも今回、シャリー・フォグリオがジョンと所縁の深いさまざまな人たちにインタビューしているわけですけど、彼のことを悪く言う人はひとりもいないんですよね。おそらく彼はミュージシャンの友達が多い人ではなかったはずなんです。ただ、その限られた数の友人たちとはとても深い付き合いをしていて、誰もが「あんな良いやつはいない」と言う。だからフィルとだって、ずっとうまくやっていったはずだと思うんです。
増田:そんな彼が、結果的にデイヴィッド・カヴァデールとは上手くいかなくなった、というのが皮肉な話ですよね。
広瀬:僕は、個人的にはジョン・サイクスとコージー・パウエルがいた時のホワイトスネイクの布陣が最強だったと思っているんですね。あの顔ぶれが揃った時のビデオも最高にカッコ良かった。そして何より、のちに出た『サーペンス・アルバス』では曲作りが圧倒的に素晴らしかった。その前の『スライド・イット・イン』にも良い曲はたくさん入っていましたけど、それまでのホワイトスネイクの延長上にあったし、それがいくぶんモダンになった、という感じだったじゃないですか。
増田:ええ。そもそもブルージーなバンドだけにホワイトスネイクには雰囲気モノ的な曲も少なくなかったわけですけど、『サーペンス・アルバス』には輪郭のくっきりとした、キャラクターの際立った曲が揃っていますよね。
広瀬:最初に聴いた時からそれは感じましたね。それぞれの曲が違っていて、しかも捨て曲がない。ただ、そんな素晴らしいアルバムが完成したというのに、それが世に出る頃にはジョン・サイクスが解雇されていた。
増田:あのアルバムにおいて彼の存在はソングライターとしてすごく大事だったはずなのに、なんだかあのメンバー・チェンジには「スーパー・ギタリストは替えがきく」とでも言いたげなところがあるように感じられたものです。
広瀬:少なくともアルバムがリリースされる時点までジョンがバンドにいたなら、いくつかの曲のビデオ・クリップには彼が登場していたはずじゃないですか。それだけでも大きな違いがあったはずだと思うんです。
増田:1987年といえば前年に出たボン・ジョヴィの第3作が依然として大ヒットしていて、ガンズ・アンド・ローゼズの『アペタイト・フォー・ディストラクション』やデフ・レパードの『ヒステリア』がリリースされた年。MTVがとても重要な存在でした。
広瀬:モトリー・クルーも全盛期ですよね。『サーペンス・アルバス』はそんな絶好のタイミングにリリースされたのに、MTVで流れているホワイトスネイクのビデオには、作曲者であるジョン・サイクスの姿がない。そこでアメリカ人の多くは彼という存在を忘れてしまったというか、意識すらしなくなってしまったんだと思うんです。
増田:それが脱退だったのか解雇だったのかはともかく、彼がバンドを離れるのが何ヵ月か遅かったならばそんな事態にはならずに済んでいたのかもしれないですよね。
広瀬:全然違っていたんじゃないですかね。1989年にはブルー・マーダーの1stアルバムが出ているわけですけど、あのアルバムがアメリカで期待していたほどの反響を呼ばなかったのも、そうした背景が知られていなかったからだと思うんです。「あのホワイトスネイクのジョン・サイクスが新バンドを率いて登場!」ということにはならなかったわけですよね、アメリカでは。

増田:ある意味、そうした背景についてきちんと認識されていたのは日本だけだったと言ってもいいのかもしれません。日本のメディアでは彼がどんな人物で、ホワイトスネイクにどれほど貢献していたかを伝えていたけれど、アメリカにおいて彼の存在は「知る人ぞ知るギタリスト」だったわけですよね。
広瀬:日本においてジョンは正当に評価されていたから、ブルー・マーダーの来日公演も盛り上がったし、紆余曲折はあったにせよゲフィンからもう1枚アルバムを出すことになり、その『ナッシン・バット・トラブル』についても欧米では何も起こらなかったけれど、日本では大歓迎されましたからね。
増田:この会場内にも『ナッシン・バット・トラブル』の日本盤のゴールド・ディスクが展示されていますけど、当時の日本での売り上げは10万枚を超えていて、オリコンの総合チャートでも最高6位を記録しているんです。邦楽も混ざった中で、ですよ。
広瀬:すごいことですよね。それが1993年のことなんですが、アメリカが本格的にグランジ一色になりつつあった頃、むしろ日本では流行と関係なく、この国ならではの人気アーティストが地位を確立するようになって、いわゆる『BIG IN JAPANの時代』に突入していくわけです。
増田:それゆえに、プロモーションなども日本主導になっていくケースが増えてきていましたよね。アルバムの発売に先駆けての現地取材なども多くなっていた時期です。広瀬さんも当時、ジョンの自宅を訪れてインタビューしていますよね?
広瀬:1995年のことでしたね。今回の本にも彼の家や車の写真が載っています。当時、そうやってミュージシャンの自宅を訪ねる機会は結構多くて、ロニー・ジェイムズ・ディオ、リッチー・ブラックモア、デイヴィッド・カヴァデールやイングヴェイ・マルムスティーンの家にも行きました。ただ、当時のジョンの自宅は、ちょうどロサンゼルスが災害に見舞われた直後で彼が引っ越したばかりだったので「アメリカによくある、プール付きの普通に大きな家」という感じで、正直なところあまり詳細を憶えていないんです。車についてもそうなんですよ。イングヴェイのようにフェラーリとかだったりすると記憶に残りやすいんですけど。
増田:とはいえ、彼の愛車のカーステレオでデモ音源を試聴していたりするんですよね?
広瀬:ええ。それがおそらくこの本にも写真が載っている車であるはずなんですけど、記憶が曖昧なんですよね。しかも試聴させてもらった音源についても全曲ではなかったし、完成状態でもなかった。なんだか当時の『BURRN!』の取材タイミングはやけに早かったんですよね、特に表紙・巻頭を飾るようなアーティストについては。
増田:当時は音楽専門誌の数も多かっただけに「独占インタビューをいち早く掲載!」というところに重きを置こうとすると、早過ぎるタイミングでの取材になりがちでしたよね。曲を聴けていないどころか、「アルバムのタイトルは決まりましたか?」という質問から始めなければならないケースも少なくなかった。ラットの『ディトネイター』当時の取材がまさにそうでした。ハリウッドのウィリアム・ヘイムスさんのスタジオで撮影しながら、まだ聴いたこともない曲について「それはどんな曲なんですか?」「他にはどんな曲が?」と繰り返し訊く羽目になりましたね。
広瀬:当時、海外取材の時はそんなふうになることが多かったですね。そして「詳しい話は、のちに来日時に」みたいなことになってくる(笑)。確かに逸早く話を聞こうとするとそうならざるを得ない部分も少なからずある。ただ、ジョン・サイクスのアルバムというのは、1995年以降は日本でしか出ていないんですよね。実は先日、アーチ・エネミーのマイケル・アモットにインタビューする機会があって、そこでジョンの話になったんですけど、彼は「ジョン・サイクスの存在は90年代の途中から消えていた」と言うんです。初めて日本に来た時にも、CDショップにジョン・サイクスの見知らぬ作品が並んでいることに驚いて、思わず買ったおぼえがある、と。つまり当時のヨーロッパでは、彼が創作活動を続けていたことは同業者たちにさえほとんど知られていなかった。そこも悲しいところですよね。もしもすでに配信などが普及していたならば状況は違っていたかもしれませんけど、時代が悪かったとしか言いようがない。そういえば、増田さんは『BURRN!』編集部時代にはプリティ・メイズの取材で貴重な体験をしていますよね?
増田:そうですね。これも何度か記事の中で書いてきたことですけれど、1991年の9月、彼らが『シン・ディケイド』というアルバムのマスタリングをしていた当日にコペンハーゲンのスタジオを訪ねて、メンバーたち同席のもとで全曲を試聴させてもらったんです。その時にケン・ハマーとロニー・アトキンスが「実はもう1曲あるんだ」と言って聴かせてくれたのが、ジョン・サイクスの「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」のカヴァーだったんですね。あのイントロが聴こえてきた瞬間、僕は驚きの表情になっていたようなんですけど、その直後、僕の口があの歌詞に合わせて動き始めるのを見て、今度は彼らの側がビックリすることになったんです。というのも、シン・リジィのマニアである彼らとしては「シン・リジィ界隈の、誰にも知られていないはずの名曲」をカヴァーしたつもりでいて、僕が驚いた理由も、ただ単にそれがバラードだったからだと思っていたんです。
広瀬:確かにあれ以前の彼らに、ああいう曲はなかったですからね。
増田:ええ。だから試聴後に「いや、この曲は日本のメタル・マニアの間では結構知られていて、一時は輸入盤のシングルがものすごい高値を呼んでいたんだ」と伝えると、彼らはさらに驚いていましたけどね。その試聴の場であの曲を最後に聴かせてくれたのは、当初はシングルのカップリングか何かにするつもりだったからだと思います。
広瀬:結果、あの曲をやったことでプリティ・メイズの運命がガラリと変わった。そしてジョン・サイクスも「俺のバラードってイケるんだ!」と自覚したんでしょうね。自分のライヴでもあの曲をやるようになったし、かつて『BURRN!』編集部に在籍していた深民淳さんの企画による『LOVELAND』というアルバムの中でもこの曲をリメイクしています。深民さんは当時、制作サイドの立場から彼の作品に関わっていて、当時の苦労話やエピソードも今回の本に書かれています。これはが本当に面白い話ばかりで……。
増田:面白いばかりじゃなく、ちょっとアブナい話もありますけどね。(笑)
広瀬:その深民さんの原稿だけでもこの本を買う価値は充分にあると思いますし、同じく元『BURRN!』編集部の大野奈鷹美さんの原稿も泣けるんですよね。ディスコグラフィは平野(和祥)君だし、バイオグラフィはJun Kawai君だし、増田さんももちろん書いているし、かつて編集部にいたことのある人たちが集結して作ったようなところもありますね、今回は。皆さん本当に、求められるものを書いてくださったというか。

増田:まさしく総力結集という感じになりましたね。だからこそ、いわゆるアーカイヴ素材ばかりではなく、新たに書き下ろされたものを中心にしながら、このスピードで1冊の本にすることができたんだと思います。
広瀬:加えて、シャリー・フォグリオの取材記事は、基本的に取材が行なわれた順に掲載されているんですけど、それが功を奏して、ドキュメンタリーのような感触の伴うものにまとまりました。
増田:ええ。彼女自身がジョン・サイクスの知られざる部分を探るためにさまざまな証言者を当たっていった、という形になっていますよね。まず驚かされたのは、彼女の手元にたくさんの人たちの連絡先が残っていたことです。それこそすでに引退しているような人たちから、ジョンの実弟に至るまでの。
広瀬:まずは当時ゲフィン・レコードにいたジョン・カロドナーに話を聞いて、契約に至った経緯などを明らかにして、そこからスタートしながら次々といろいろな人たちの証言を得ていき、最後に弟さんに行き着く。これもまた泣ける展開でしたね。シャリー・フォグリオという人は単なるジャーナリストではなく、KISSのマネージメントでもあったドク・マギーのところにいたことのある人なので、とにかく顔が広いんですよ。しかも人に好かれているんでしょうね。だからトニー・フランクリンが「感情的になり過ぎるから答えられない」としながらもメールで回答をくれたり、涙ながらに語ってくれた人もいたり……。同様に、ハワード・ジョンソンの記事もとても良かった。彼自身もイギリス人で、ジョン・サイクスが加入する以前からタイガーズ・オブ・パンタンを観てきたという背景もあるので、やはり書くものの説得力が違うというか。そうした皆さんのおかげで、いわゆるアーカイヴ本にはとどまらないものになりました。
増田:ええ。さて、そうこうしているうちにそろそろ時間のようですが、僕自身、追悼本というものをどんなふうに作るべきなのか考えがまとまりきらないところもあったんですが、こうして密度の濃い本にすることができて本当に良かったと思っています。
広瀬:そうですね。もちろんアーカイヴ素材だけでも価値はありますし、『BURRN!』のバックナンバーをすべて揃えているような人ばかりではないはずですから、そうした過去の記事の再録だけでも充分に読み応えがあったはずですけど、むしろそれをオマケにすることができたのは良かったな、と思っています。あと、この本にも書きましたが、ジョン・サイクスについては近いうちにもう一度、『BURRN!』の表紙にするつもりでいたんです。その機会が巡ってくる前に亡くなってしまったことが残念で仕方がないですね。当たり前のことですけれど「人って亡くなるものなんだよな」と改めて感じさせられました。
増田:誰もが年齢を重ねているわけですけど、いざそうした局面が巡ってくると「どうしてこんなに突然?」と思わされるものですよね。この本を作っていて感じたことのひとつに、フィル・ライノットをはじめとする何人かの人たちの死がジョンの人生を変えてしまったようなところがあるんだな、ということでした。制作が進んでいた最後のアルバムに、2022年に亡くなったテイラー・ホーキンスが参加していたという事実にも驚かされましたし、そうした巡り合わせの不思議さ、不運さも感じさせられました。同時に、どのアーティストもいつまでも活動を続けられるわけではないということを頭に置きながら、こちらも考えていくべきなんだろうと考えさせられます。
広瀬:生きている時間を大事にしないといけませんよね。そこで気になるのは、ジョン・サイクスが残した最後の音源が今後どういう形で出ることになるか、ということです。それについて動くことになるのが弟さんなのか、息子さんたちなのかはわかりませんが、音源が存在していること自体は間違いないので、これはなんとか良いカタチで世に出て欲しいところですし、遅まきながらも〈ジョン・サイクス再評価〉という流れに繋がっていくことを願いたいものです。彼の影響力についてはもっと認められるべきでしょうし、天国でジョン・サイクス自身がそうしたさまを見渡しながら「今頃わかったのか!」とでも感じてくれたならいいのかな、と思います。というわけで、本日は皆さん、たくさんお集まりいただきありがとうございました。


◎「BURRN! PRESENTS 追悼:ジョン・サイクス」は7月25日重版出来

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