伊藤政則『POWER ROCK TODAY』放送開始30周年記念番組直前インタビュー 「リスナーとの強い結びつきがあるから僕はラジオが好きなんだ」
伊藤 そうそう、1989年10月、開局前の試験放送の時から『POWER ROCK TODAY』のようなことをやっていたんだよね。試験放送で喋っていた午前4時くらいに、局の偉い方が軽く酔ってスタジオに来て、「伊藤さん、6時までやっていいよ」って(笑)。急遽、番組が1時間延長された。レコード、足りるかなと心配だったよ。足りなきゃ喋りで何とかしようと(笑)
──月並みな感想ですけど、本当に凄いと思います。
伊藤 いやー、大したもんだと思うよね。だって30年だからね。思い出を訊かれることもあるけど、正直よくわからないんだよね。ただ、昔のほうがバカなことはやっていた。「デスボイス・コンペティション」とかさ、「ヘヴィ・メタル瞬間芸」とか。
AMからFMへ移行、トークスタイルも変化した
──AMからFMに局が変わって、トークのスタイルも変わりましたよね。
伊藤 全国ネットだった『ロックトゥデー』時代は、下ネタとかいっぱいハガキで来ていたからね。
──そうですね、下ネタはかなり酷かったです(笑)
伊藤 ラジオネームで、“先生は45度”ってのがあったな(笑)。マズイよな、「90度にしなきゃダメなんじゃないか?」とか言ってたんだけどさあ…。
──うひゃひゃひゃひゃひゃ!!!
伊藤 あと○○先生の体形はアン・ウィルソンとか。
──ヤバいですよ、書けませんよ! あと〇〇さんの早○ネタとかもありました。
伊藤 大〇さん、ツバキハウスで水玉の服の女の子さらっていったとか。
──誰だかわかっちゃいますよ!
伊藤 ヤッバいなあ(笑)。あの頃は怖いものなかったよね。他にもラジオネームがいっぱい来てたよね。例えば「レミーのイボ」とか。あとウド・ダークシュナイダーのネタもいっぱいあったよね。ウドとロニーの背比べとか(笑)。
──ディー・スナイダーやイアン・ギランもネタにされていました。
伊藤 AMの頃は録音だったでしょう。だから、なんでも出来た。FMは生放送だし、電波がリアルだから。FMで今でもそんなバカっぽいネタ言っているのは、天下の吉田照美さんだけじゃないかな。実にAM的な番組でね。尊敬しています(笑)
伊藤 それはDJやディレクターの目に留まるものを書くにはどうすればいいかということだよね。ということは、「こんばんは、夏が終わりますね」だけではダメでしょう。例えば「先日、渋谷の駅前のコーヒーショップで伊藤さんの姿を見かけました。近寄って伊藤さんにコンニチワって挨拶しようと思ったのですが、違う人でした!」とか(笑)。そういうのってありそうじゃん。
──なるほど。書き方の上手い人っていますよね。
伊藤 そういう人は褒めるとすぐにハガキ(メール)職人になるんだよね。でもさあ、昔なんて『オールナイトニッポン』に石に宛先を貼ったものが送って来たんだよ。あと鍋とかさ。「郵便局の人が困るからこういうのは送って来ないで」と言うと、またガンガン送ってくるわけ。「お願いだから油揚げなんか送って来ないで」とか冗談で言ったら沢山送られて来て、全部が腐っていたとかね(笑)。そういうリスナーとの結びつきがあるから僕はラジオが好きなんだよね。
──『TOKYOベストヒット』の頃、伊藤さんが“顔面アブラ症”ってネタにしていたら番組にあぶらとり紙が送られて来たなんてこともありましたよね。
伊藤 ああ、あったね。「これじゃ全然足りない」って言ったけどね(笑)
──先日、講談師の神田松之丞さんの番組を聴いたんですけど、曲もかからずにCMが一回入るだけで30分喋りっぱなしだったので驚きました。
伊藤 昔のビートたけしさんだって、お相手の高田文夫さんがいたけれども、喋り続けていて、疲れたから、曲を入れてただけでしょう。さらに昔の“ナチチャコ”の『パックインミュージック』もトークばかりで曲がかからなかった。あと文化放送の落合恵子、“レモンちゃん”ね。ポエムとか延々読んじゃうからさあ、曲なんかかからないんだよ。しかもそういう番組の聴取率が高い。でもレコード会社はそこに曲を入れ込みたいんだけど、かからない。だからレコード会社泣かせと言われていたんだよ。
──なるほど、そういう番組だったんですか。
伊藤 昔からトークだけでやる人はいたんだよ。ただ、初期の『オールナイトニッポン』は曲が必ずかかる。たぶん深夜放送でいちばん曲がかかっていたのは『オールナイトニッポン』だったよ。ギャグも面白いけど、20分、30分喋り続けるということはなかった。『セイヤング』も曲はかかったけれども、僕の好みのトークではなかったんだよね。『POWER ROCK TODAY』でも気がついたら10分、15分経っていることがあって、「ヤバい、曲かけなきゃ」って思うことがあるよ。だって番組名に“ロック”って付いてるわけだから。
すべてをひとりで手掛ける総合演出家
──伊藤さんは現在ひとり喋りですが、放送作家の笑いを入れている番組がありますよね。松之丞さんもそうですし、伊集院光さんも作家笑いを取り入れています。
伊藤 それは演出でしょう。ラジオでポピュラーになったのは、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の高田文夫さんから。そういう雰囲気を楽しいなと思わせる演出ね。かつてのドリフと一緒です。海外ドラマの『奥さまは魔女』方式だね。
──そうですね、ルーツはそこにあるんでしょうね。でも伊藤さんの番組に放送作家が入っているのを見たことがないのですが。
伊藤 だって、僕が作家を兼任しているからね。
──昔、文化放送のワイド番組の取材に行ったことがあったんですけど、作家が中に入っていたので驚いたんですよ。僕は伊藤さんの現場しか知らないですから。
伊藤 『TOKYOベストヒット』では作家がスタジオに入る時もあったよ。遠藤察男さんとか。ディレクターの指示を作家が聞いて、メモを僕に渡すんだよ。「展開変えて」みたいな。ただ、あのときは僕と水島かおり、コント赤信号と5人いたから、スタジオに放送作家まで入るスペースがなかった。その後、赤信号が辞めて、僕と水島かおりだけになったことがあったんだよ。そのときは遠藤さんが入っていた。
──そもそも放送作家が何をやる人なのかよくわからないんです。
伊藤 AMの番組の方が作家が入ることが多いかもね。FMでも作家を入れている番組はたくさんあるよ。番組の構成、進行、読みの原稿を書くとか。
──文化放送で放送作家の仕事を訊いてみたんです。まず台本を作る。その際、パーソナリティが体調悪くてどうしようもないとき、その原稿を読むだけで番組が成立するようにもうひとつ別の台本が用意されていると聞いて驚きました。
伊藤 そのくらい作るでしょう。僕もこれまでに体調悪かったときが何度かあったんだけど、そういう時はレコード会社のディレクターにサポートしてもらったよ。助かったね。
──あと作家は企画を立てるんですよね。
伊藤 『TOKYOベストヒット』で、「芸能界一番の〇根は誰だ? キャンタマ・オリンピック」っていうコーナーをやったんだよ。遠藤の企画だね。企画会議で僕はどうかなと思ったんだけど、プロデューサーが「面白いねえ!」って言い出してさ。男はチェッカーズ、女性はキョンキョンが1位。巨○なんて言っても大した意味なんてなくて、人気投票みたいなもんなんだよ。表彰状を渡しに行ったら、チェッカーズが「なんですか、これ?」って怪訝そうな顔をしていた(笑)。そういうことを企画するのも作家の仕事なんだよ。『POWER ROCK TODAY』に関して僕は放送作家兼ディスクジョッキー。選曲もするしタイムキーパーもやるという、総合演出みたいな感じだね。
──そういう人って他にいるんですか。
伊藤 いないだろうね。昔で言えば『オールナイトニッポン』の糸居五郎さんや亀渕昭信さんは全部ひとりでやっていたわけだし。
──とくに糸居さんは自らレコードに針を乗せていたんですよね。
伊藤 そうそう、アメリカンスタイルのDJでね。ブースにターンテーブルを2台か3台置いていた。僕はその現場を見ているから、全然苦にならないんだよ。
──その現場に立ち会っていたんですか?
伊藤 うん、糸居さんの『オールナイトニッポン』後期は僕がADをやっていた。現場には技術がひとり、VIVAルームのディレクターがいて、あと僕がADで入っていたんだ。
──糸居さんの現場はやることが少なそうですけど、具体的に何をされていたんですか。
伊藤 テープ出し。曲は糸居さんがかけるけど、CMは流さなきゃならないから、いわゆる「出し」をやっていた。それを見ているから、僕も総合演出をするようになったんだと思う。僕の番組では、僕の指示で、ディレクターがそのタイミングで曲を出す。それは30年間、何も変わっていない。
──音源のデータは使っていないんですか。
伊藤 まったく使っていないよ。変わったといえば、アナログからCDになったくらいかな。初期の頃は色々あったよ。PRT放送開始当初はスタジオ内でタバコが吸えたんだけど、灰が落ちてレコードの溝が溶けちゃってさあ。生放送でレコード回しながら「どうしよう」って慌てたんだけど(笑)。たまたま、ちょっと針が飛んだだけだったからスルーできたんだけど。
あまりにも多すぎる30年間のエピソード
──30年もやっていれば色々ありますよねえ。
伊藤 千葉市のスタジオでやっていた頃、放送が終わって下へ降りていくと、目の前の民家が火事になっていて。そのすぐ横に当時、東芝EMIの阿部ちゃんの車が置いてあってさあ(笑)。火事って言ってもボヤじゃないんだよ、ボウボウと燃えててさあ。
──わははは!
伊藤 「近づくと危ないよ!」って皆で言ってたんだけど、阿部ちゃんが火の方に向かって走っていって(笑)
──わははははは!
伊藤 まあなんとか事なきを得て。で、僕はすぐに帰ったんだけど、宮本ディレクターとか他の人たちはそのまま現場に残って野次馬みたいに見物していたら、警察にビデオ撮られてたんだよ。“犯人は現場に戻る”っていう理論でさあ(笑)。アレは笑ったなあ。
──そして番組からはヒット曲もずいぶん生まれましたよね。
伊藤 まず思い出すのは、スティールハートの“シーズ・ゴーン”。番組に何と1分スポットが入ったんだよ。リスナーの優秀作品のキャッチコピー付きでね。あとジューダス・プリーストの“ペインキラー”だね。時報の後、すぐにあのドラムが鳴り響いた。世界初公開だったから、曲紹介も何も言わずにかけたんだよ。当時のファンクラブの会長が「聴いていて本当に良かった」と言っていたほどで。アレは反響凄かったな。あとやっぱりバックチェリーの“リット・アップ”だね。だって9週連続オンエアしたんだから。レコード会社の担当は女性だったんだけど、彼氏にも会わず毎週番組に立ち会っていたという(笑)。可哀そうでした。でもラジオが怖いのは、9週間の9回目に初めてその曲を聴いて、素晴らしい曲だとハガキがきたことかな。ヒットは絶対に継続性から生まれるんですよ。それが持論です。
──他にもまだまだありますよね。
伊藤 あとドリーム・シアターの“プル・ミー・アンダー”。あの曲はインパクトあったね。
──ドリーム・シアターがかかる番組って他に無いですよね。
伊藤 曲が長いからかけにくい。でも僕は関係ないね。
──それはPRTの独自性のひとつだと思います。
伊藤 バックチェリーやドリーム・シアターのメンバーとはいまだに仲が良い。ジョシュ・トッドにはいまだに感謝されているよ。あの頃は、ラジオの力がまだまだ強かったから、レコード会社とかプロモーターの担当者が毎週数10人くらい番組に立ち会いに来ていたんだよ。各社にプレゼント提供してもらって、ハガキで応募してもらったら、一番多く来たのはスキッド・ロウのコンサート・チケットだった。全部合わせて何万枚もハガキが来ていた。とんでもない数だった。
──アイアン・メイデンの新ボーカリスト発表をイギリスから中継みたいなこともやりませんでしたか。
伊藤 その前にスティーヴ・クラークの訃報を伝えたことがあった(※01)。ロンドン在住のカメラマンのジョージ・チンと電話を繋いで、現地でどんな報道がされているのか喋ってもらったんだよ。ブレイズ・ベイリーのときも何かやったね(※02)。ブレイズに決まったことは僕は事前に知っていたんだけど、そのときもやっぱりロンドンのジョージ・チンだったんじゃないかな。当時はそういうのがあまりなかったから、刺激的な感じだったね。
──面白いことをたくさんやってましたね。
伊藤 あと、沢山のスタジオ・ライヴとかやってるね。MR.BIGとかね。最近だとアマランスがスタジオ・ライブの音源をアルバムのボーナス・トラックに入れたりしてね。
──カーカスがデスライダーのテーマ(※03)を作ったり、ポール・ギルバートが番組のメインテーマを作ったということも凄いと思います。
伊藤 マサイトーのテーマ(※04)は、2バージョンあるんだよ。特番のときは違うバージョンを使っているから。たしか、デモのバージョンが4つくらいあったはず。ポールからデモが送られてきたよ。
──聴いてみたいですねえ。
伊藤 それほど違いはないと思うよ。
──さて、30周年記念公開生番組はどうなるんですか。
伊藤 まだ詳細は決まっていないんだけど、公開生放送でアウトレイジがライブをやることは決定している。NWOBHMのカバーを演奏すると思うよ。どの曲を演るのか知らないんだけどね。かつての番組担当、レコード会社のディレクターが当時の思い出を語るコーナーもある。是非聴いてほしいね。
──放送楽しみです、ありがとうございました。
『POWER ROCK TODAY』30TH ANNIVERSARY SPECIAL!!
公開特番は10月5日(土)深夜25時から生放送です。
お祝いのメール、FAXは下記まで。
【e-mail】
prt@bayfm.co.jp
【FAX】
043-351-8011
<脚注>
(※01)デフ・レパードのスティーヴ・クラークは1991年1月8日逝去。
(※02)イギリス・バーミンガム出身のボーカリスト。ウルフズベインを経て1994年にブルース・ディッキンソンの後任としてアイアン・メイデンに加入した。
(※03)“Death Rider Da”は1996年作『Swansong』の2008年再発盤ボーナス・トラックに収録。
(※04)“Masa Ito”は、ポール・ギルバートの2002年作『Burning Organ』に隠しトラックとして収録。
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