【特別インタビュー】 誕生日に明かす伊藤政則の真実「僕の後継者って必要なの?」

本日は7月10日! 日本の音楽評論家、DJ、そして音楽雑誌『BURRN!』の編集顧問でもあります伊藤政則(いとう・せいそく/本名は“まさのり”)氏の誕生日であります。1953年生まれの伊藤さん、御年@歳(※自分で数えてください)。こんなメデタイ日に我々メタルヘッズは仕事してる場合ではありません。今日は祝日にしましょう! というわけで、BURRN! ONLINEではいつもお世話になっております伊藤先生のために、ささやかながらパーティを開かせていただきました。以下、その模様を実況中継いたします。
 
インタビュー:須永智子(SPIRITUAL BEAST)

聞き手:倉田真琴。

※文中の写真は伊藤氏提供。

ママママサイトー生誕祭


倉田真琴 7月10日、お誕生日おめでとうございます!

伊藤政則 ありがとうございます。

倉田 えー、今回は“伊藤政則生誕祭”ということで、インタビュアーとして“マサイトー萌え”女子代表、元ディスクユニオンで現在はレコード会社SPIRITUAL BEASTの須永さんをお迎えしました。

伊藤 なんだか凄いな。

須永智子 よろしくお願いしまーす。

伊藤 こないだ『政則十番勝負』のインタビューでね、LOVEBITESのところで「LOVEBITESばかり推しやがって」と陰口叩いていた二人のうちのひとりだね(笑)

須永 あのー、人聞きの悪い事言わないでもらえますか…。

倉田 それでは早速インタビューを開始していただきましょう。

須永 『HEAVY METAL SOUNDHOUSE』などのイベント以外ではTVやラジオでしかなかなかお目にかかれない存在だった伊藤さんですけど、近年は定期的にトークショーを開催したり、サイン会や撮影会でファンと触れ合う機会が増えてきて、伊藤政則という存在がグッと身近になってきています。それにはどういう狙いがあるんですか?

伊藤 狙いなんかないよ。これまでファンの人と触れ合うイベントは『HEAVY METAL SOUNDHOUSE』やビデオコンサートくらいしかなかったし、本も出していなかったからサイン会もなかったしね。あとは『ヘヴィ・メタル王座決定戦』を年に一回やっていたり。

須永 『ヘヴィ・メタルの逆襲』(※01)と『セーソクの法則』(※02)の時、サイン会はやらなかったんですか。

伊藤 『セーソクの法則』の時、シンコーミュージックでやったよ(※03)。あの頃は『夕やけニャンニャン』にレギュラー出演していたから、番組内でも告知してもらった。凄い人数が押し寄せちゃって、休憩を挟んで2回に分けてサイン会をしたよ。ファンは男ばかりだったね。そういうファンと触れ合う機会というのが、あの頃はなかったけれども、もしその時代にトークショーをする機会があったら、やっていたと思うんだけどね。大体、トークショーが成立するようになったのは最近のことじゃないかな。会場を借りたりすればお金がかかるわけでね。今度、9月5日に大阪でトークショーをするけれども、ウドー音楽事務所の大阪のスタッフが探してきたのは、「とても綺麗だけど楽屋にトイレが無い」会場だったりしてさ(笑)

須永 あははは(笑)

伊藤 トイレどうすりゃいいんだって訊いたら、「お客さんと一緒のトイレを使用していただきます」って、そんな場所選ぶなよっていう(笑)。それにトークショーで大阪の人がお金を払って観に来るのかっていう疑問もあった。ケチだと言っているわけではないんだよ。これまでやったことがないからね。とにかく、狙いなんてものはないよ。でもリスナーと会ったりすると符合するんだよね。あの人かって。ラジオだと相手の顔は見えないけど、メールの内容でおおよその人物像わかるんだ。ラジオをやって、イベントもやるということにメリットを感じているね。

須永 なるほど~。ファンからすると神が降りてきた感があると思いますよ。

伊藤 元々身近な存在だけど、ラジオとかテレビとかイベントでしか見てないからそういう風に思っているんじゃないの。最近、「伊藤さんですか?」って声をかけられるのは、タクシーの中が多いんだよ。運転手さんから「中高生の頃によく『BURRN!』を読んでいました」って言われるパターンだね。ある時、酔っ払って乗った個人タクシーの運転手さんが僕のファンで、「伊藤さんからタクシー代はもらえない」って言われて困ったよ。

一同 (笑)

伊藤 個人タクシーとはいえ、それはマズイよね。それでも「いやいやいや、伊藤さんから恐れ多くてもらえない」って、しばらく押し問答になったんだよ(笑)。赤坂から四ツ谷なんて1000円もしないくらいなんだけどさ、それでもそういうわけにはいかないじゃない。本当に困ったよ。だからさ、イベントとかを最近やっていることを知らない人がまだまだ多いんじゃないかな。

須永 ファンと触れ合う中で伊藤さんにも新しい発見があったりするんですね。

伊藤 やっぱり、声をかけてくるのは40代なんだよ。つまり、MTV世代だよね。BON JOVI、MÖTLEY CRÜE、DEF LEPPARD、JUDAS PRIEST、他にも色々あるけど、そういったバンドが活躍していた時代を体験した人だよね。あと、空港でもよく声をかけられるよ。こないだKK(ダウニング)のインタビューに行く時、羽田空港にあるラウンジのエスカレーターの反対側から声をかけられたよ。「伊藤さんですよね? ファンです!」って、何事かと思ったんだけど、その時僕はRAINBOWのラグランシャツを着ていたから、たぶんそれで気づいたんだろうね。あと以前ジョー・ペリーがソロ・アルバムを出した時、タンパの彼の家に向かう機内で声をかけられたこともあったよ。「メタル好きで聴いていました」って言ったその人は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)勤務で、これからケネディ宇宙センターに行くとか言っていたよ。

須永 え、宇宙まで行っちゃう人だったんですか!

伊藤 いや、地上勤務かもしれないけど。しかし声をかけてくる人で、まず圧倒的に少ないのが若い女の子だね。

須永 それは残念ですね。

伊藤 うん、残念だ。

倉田 それにしてもメタル世代の40代が大手広告代理店でバリバリやっている人だったりすると嬉しいですね。

伊藤 ああ、でもさ、今の時代って広告代理店が入ったところで、音楽番組を音楽単体で構成するって成立し難いんだよ。TVKでビデオ紹介の番組やっているけど、最近、バンドがミュージック・ビデオを作る際、サイト用に作ることもあるんだ。だからテレビで使うのとは仕様が違うらしいんだよ。リリック・ビデオなんてそのまま使えるわけがないじゃん。ディレクターも“取材に行くしかないですね”って言っててね。だから今はどんなものでも取材に行って特集することにしているんだよ。広告代理店にメタル好きがいたとしても、なかなか難しいんじゃないかと思うよ。
1982年か83年頃、新宿ツバキハウスのDJブースにて。

職業を意識したタイミング


須永 それでは次の質問です。小中学生の少年時代に音楽に目覚めて、好奇心から始まってこの世界で仕事をされるようになったと思うのですが、それを伝えていくことが自分の使命だと感じたタイミングはいつだったんでしょうか。

伊藤 まず今とは時代性が違うから。僕が小中学生の頃、メディアはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌しかなかったんだよ。今でこそ文化というのは、北海道から沖縄まで、東京から発信された情報がわりと均等化されて伝わっているけど、今でも田舎へ行くとロックなんてそんな洒落たもの聴いていない人がいっぱいいるんだよ。21世紀の今でもね。それが1960年代、70年代初頭の話になると、もっと格差があったわけ。今だってそうなのに、僕は50年前に東京のカルチャーから遮断されたローカルの環境で音楽と向き合わなければならなかった。だから同じ岩手県出身の大瀧詠一さんは、青森の三沢から電波が発信されているFENを聴いていたんだよね。

僕はやっぱり音楽の世界に興味があって、よくレコードを持っている人の所へ通ったりしていたよ。小学校6年くらいの頃、レーシングカーが流行った。組み立てて電気で走らせるやつ。で、花巻のデパートにレース場が出来て遊びに行ったんだよ。街の小学生がレースをやっていた。自分もやりたいなと思いながら眺めていたんだけど。その時、有線で音楽が流れていて、その曲を口ずさんでいる小学生がいた。それが加山雄三の曲だった。その時、凄いなと思ったよ。中学に入る頃にはもうレコードを買っていた。モンキーズの番組が岩手放送で始まって一回目からずっと毎週観ていたんだよ。1966年のデビュー・シングル“恋の終列車 (Last Train to Clarksville)”を買ったよ。そういうね、言い方は古いけど“トッポイもの”に憧れていたんだ。モンキーズとか加山雄三とか。ところが、そういうものを一緒になって語ってくれる人がまわりに誰もいないんだよ。僕は長男だからお兄さんお姉さんはいないからね。そういう音楽を聴くオシャレな奴なんて、少なくとも近所にはいなかったね。だから自分で知識を広げていかなきゃならないわけ。でもその方法が全然わからないんだよね。そのうち土日の昼間にやっているチャート番組なんかを聴き出すんだけどね。

その後、1967年から人気が爆発したグループサウンズ(※04)が好きになって。でもね、ウチの親父が保守的な人で、長髪のバンドのレコードなんて買ってくれないんだよな(※05)。それに親父はセンスがないからね。レコード買ってくれってねだって、ようやく買ってくれたのがソノシートなんだよ。自分も知識はあまりないんだけど、ビートルズが演奏していないということはわかったんだ(笑)。要するにパチモノなんだよね。そんなわけで音楽を聴く環境は苦しかったね。結局、お小遣いを貯めて自分でレコードを買いに行っていた。でもその頃は将来何になりたいとかまったく考えてなかったよ。中学の頃は月刊明星を買っていて、ジュリーや黛ジュン、小川知子のポスターを部屋に貼っていたよ。

須永 そんな少年が職業を意識する頃はいつなんですか。

伊藤 中学3年だから1968年、僕の友達のお兄さんが受験勉強していて、深夜放送を聴いていたんだ。「ナチチャコ(※06)知ってる?」と訊かれてもまだ知らなかった。土日の岩手放送は、文化放送やニッポン放送のチャート番組をやっていて、家にあった小さなトランジスタラジオで聴いていた。海外のポップスが流れてくる番組なんだけど、先にGSを聴いていたからそういう音楽への対応力があったんだよね。でもトランジスタラジオってパワーが無いから大陸系のわけわからない放送を拾っちゃうんだよ。韓国とかロシアとかの放送ね。困っていたら、祖母が真空管のラジオをくれた。これが凄く電波を拾うの。夕方くらいにどこだか知らない放送局の番組が入ってくるので、ラジオ雑誌で調べてみると、それが大阪のMBSだということがわかった。夕方頃なら岩手でも大阪の電波が入って来たんだよ。そのうちニッポン放送、文化放送、TBSとか聴くようになって、ラジオ関東はなかなか入らなかったんだけどね。それが高校1年の頃で『オールナイトニッポン』とか色んな番組を聴くようになった。そうしているうちに聴くだけじゃなくて、ハガキを出すようにもなってね。地元のラジオ局にも電話リクエストをしたり。家の電話だと問題ありそうだったから、近くの商店まで行って赤電話からかけていた。でも一回の放送で僕のリクエストが3曲くらいかかるんだよな。

須永 あははは(笑)

伊藤 そんなにマメに電話している奴なんていなかったんだろうね。そうこうしているうちにラジオ局に遊びに行ってみたいと思ってさ。高2か高3の頃、友人の小原君に盛岡へ遊びに行かないかと言われてね。お父さんが盛岡に住んでいて泊めてくれるっていうから行ったんだよ。で、岩手放送で土曜の夜にリスナーをスタジオに入れて公開放送をやっている番組があったから、そこへ行ってみた。そこで初めてラジオの現場を見て、ディレクターがいてこういう風に番組を作るんだっていうことを知るんだよ。ラジオっていいなと思った。漠然とラジオ全体ね。ラジオ局もいいし、喋るのもいいし、作るのもいいなと思ったね。ラジオとロック。つまりね、まだハードロックとかプログレが出てきた頃だったので、僕が聴き始めた頃はまだすべてがロックだったんだよ。ジャニス・ジョプリン、ドアーズ、ボブ・ディランとか、すべてがロックだった。それが少しずつ分派化していくわけじゃない。僕の言うラジオとかロックっていうのは、高校生の時に体験したこと全部なんだよね。その頃じゃないかな、ラジオというメディアに惹かれていったのは。高校2年から3年くらい。ラジオは自分にとっては玉手箱のような世界だった。テレビは別世界でね。その頃からなんとなくラジオ局に就職するのもいいなって思った。死ぬほどレコードをタダで聴けるんじゃないかとかさ。ちなみに小原君は、盛岡の料理の高校に行って、その後何十年も会ってないけど、中南米の大使館のコックになって、今彼はお台場のフジテレビの食堂で総料理長をやっているんだよ。なぜそれがわかったかというと、数年前にBSフジの特番をたまたま見た彼が「これ伊藤じゃないか?」っていうことで、BSフジの編成局長を通じてコンタクトが来たんだよ。一回電話で話したんだけどスケジュールが合わなくて会ってないんだけどね。

須永 それまで伊藤さんがこういう仕事をしていることは知らなかったんですか?

伊藤 全然知らない。

須永 じゃあその頃からほぼビジュアルが変わっていなかったってことなんでしょうね(笑)

伊藤 変わってないんだろうね。話は戻るけれども、ラジオの世界で働きたいと思ったのは、高校2年か3年の時ということだね。

須永 ちなみに当時、憧れていたDJはいましたか。

伊藤 いや、そこまでの感じではなかったんだよね。でも『オールナイトニッポン』のリスナーであったことは事実だから。今仁哲夫さん、亀渕昭信さん、斉藤安弘さんは好きだった。
1973年頃、ロック喫茶「レインボー」の前にて。左から和田誠(音楽評論家、DJ)氏、伊藤氏、サブマネージャーの後藤氏。

“アンチ伊藤政則”の皆さんへ


須永 伊藤さんにはファンも多い代わりに、アンダーグラウンドのシーン、マニアックなメタル・ファンの中には“アンチ伊藤政則”っていう人達も存在すると思うんですけど…。

伊藤 ああ、それってわりと最近の話でしょ。だって80年代初頭はヘヴィ・メタルそのものがアンダーグラウンドだったわけだからね。70年代ハードロックの時代、NWOBHMの時代、この辺りのバンドで僕の知らないバンドなんてほとんどないから。その後アメリカからLAメタルが出てくるけれども、あの時代もまだ知らないバンドはなかったはず。たぶん今、須永さんが言っているのは、バブル崩壊後、1991、92年以降どんどん音楽ジャンルが広がっていった時代のことでしょ。昔はハードロック、ヘヴィ・メタルはそれほどメジャーじゃないから。どこでオーバーグラウンドになったかというと、やっぱりアメリカのチャートなんだよね。ということは、1983~1987年くらいまでの間なんだよ。そこでメジャーとアンダーグラウンドの境界線が出来てくるわけだよ、簡単に言えばね。昔はアンダーグラウンドっていうと、インディーからデビューしていたバンドのことでしょう。でもいいバンドがいたら、ゲフィンとか大手がインディーズから引き上げていくから、90年代以降にバンドの絶対数も多くなってきて、メタルのジャンル分けも増えたということだよね。

須永 アンチ伊藤政則=アンチメジャーだと思うんですけど、そういう人達ともわかり合いたいと思います?

伊藤 でも好きな音楽って言ったって根本は同じじゃない? それはファンなの、ミュージシャンのこと?

須永 どちらもです。

伊藤 昔さあ、NHKテレビの辻仁成の番組で『パンク対ヘヴィ・メタル』の特集をやったことあったよね。プロデューサーはパンクとメタルのファンは仲が悪いから、そこに一同に会したら凄いエネルギーが生まれるんじゃないかってことで企画したんだけどさ。実際に対面してみると“いや別に”って感じになって、プロデューサーが“この企画まいっちゃったな~”みたいな(笑)。実際はそういう感じじゃないのかな。

映画の世界ではさ、『キネマ旬報』とかそういう雑誌ではメジャーなスタジオが作ったものに対する評価っていつも低くて、インディペンデント映画とかヨーロッパ映画とかATG(※07)の映画を高く評価していたよね。そういう反資本主義的なものっていうのは常にあるわけじゃない。60年代の学生運動をやっていた人達、左翼と言われた人達は新宿でたくさん遊んでいたけど、劇団の赤テントや黒テント、独立系の映画を上映する映画館、そういう人達ってアンチメジャーだったわけでしょ。パンクの中にもアンチメジャーとか言っている人もいるけど、SEX PISTOLSのどこがアンダーグラウンドなんだって思うよ。つまり何が表で何が裏みたいなのはね、ここ最近出てきたんだよ。バンドの絶対数が増えてきたからなんだよね。アンダーグラウンドはアンダーグラウンドだから成立するんだよ。メジャーはメジャーだから成立する。そこは微妙に相容れないものがあるから面白いんだよ。アンダーグラウンドだから表現できるものってあるじゃない? アンダーグラウンドだって、VENOMが好きとか、JUDAS PRIESTとかMETALLICAとか、入り口は一緒なんだよね。

須永 そうなんですよねえ。

伊藤 でもさ、今アンダーグラウンドでも何かのきっかけでメジャーになる可能性もあるからね。そうするとどうなのかって思うよ。それにね、オーバーグラウンドの中にだってアンチ伊藤政則はいるよ。アンチ巨人軍、アンチMETALLICA、その存在がある種の権威を持ってしまうと、必ずアンチっていうのは出てくるわけだから、それは必然じゃないのかな。そんなアンチの人達とも仲良く手を取り合ってなんて考えると、時間は無いよね。

須永 たしかに(笑)

伊藤 マイナーだからどうこうじゃなくて、音楽性が良ければ「凄くいいね」って言うだけの話だからね。文句を言う前に、もう少し頑張ってくれよって思うよ。メタル、パンクとかハードコアのアティテュードって反権力じゃない。音楽はこうじゃなければいけないってスタンスで構えている人が多いんじゃないの。パンクだってあんなにメジャーになっているわけだからね。でもパンクだからアンダーグラウンドってわけじゃないでしょ。普通にハードロックやっていても売れてないバンドなんていくらでもいるよ。売れていないのには理由あるわけでさ。例えば、曲がつまらないとか。

須永 はい。仰るとおりです。

伊藤 日本のバンドでもいいバンドいっぱいいるよ。でもつまらないバンドもいっぱいいると思う。それは世界中どこも同じで、つまらないバンドに“アンチ伊藤政則”って言われても“そうですか”って言うしかないよ。

一同 (笑)

伊藤 ウチの事務所にも色々送られてくるけど、聴くと厳しいなとか、どれも同じだなって思ったりしてさ。そういう中で「オレの好きなアンダーグラウンドがかからない」とかね、「自分のバンドがかからない」って言われてもねえ。きっとそれは僕が音を聴いてないか、つまらないか、そのどちらかなんだよ。須永さんからプロモーションを受けたDOOMなんて何十年ぶりに聴いて、「あれ、こんなにいい音楽だったかな」なんて思って、良かったからかけたんだけどね。結果、若いファンがコンサートに来るようになったとか。何かきっかけがないとね。
あとね、アンダーグラウンドでやっている人達も自分が今やっていることがアンダーグラウンドだと思っちゃいけないよね(笑)。先日、人間椅子の鈴木研一君が初めて僕の番組にゲスト出演したんだけど、彼はついこないだまで郵便局で働いていたわけでしょ。今は辞めたみたいだけど。僕は人間椅子をほとんど聴いたことがなかったんだけど、レコード会社が音源送ってきて、担当者から電話がかかってきて、「新譜が出たのでゲスト出演どうですか?」って言われてね。それで出てもらったわけだけど。まず、みなさん、とりあえず文句を言う前にプロモーションはした方がいいと思うね。

 

メタル・ゴッドの後継者は必要なのか?


須永 この先、伊藤さんが引退したら、伊藤さんの後継者となるような人、実体験が豊富で、巧みな話術を持っていて、キャラ立ちもするっていう人物がいないと思うのですが。

伊藤 あのね、野球とかバスケットとは違うわけだから、後継者なんて要らないんじゃない? 野球はドラフトで入れたりして、競技を継続させるための方法を各球団が考えながら色々やっているわけでしょう。スポーツとして。音楽評論家ってそういうのは要らないんじゃないかな。例えば大貫憲章さんの後継者っているの? いないよね。ロンドンナイトのDJはいるかもしれないけど。渋谷陽一さんや湯川れい子さんの後継者も、福田一郎先生の後継者もいない。今、音楽ライターはいっぱいいるけれども、音楽評論家はいないからね。自分の文章に責任を持ってやっていないし、自分で探してきたネタじゃなくて、みんなのネタで組み立てて書いているから。まあねえ、後継者って言われてもないよね。

須永 別に、って感じですか。

伊藤 いいんじゃないの、いなくても。

倉田 僕も個人的にはいなくていいと思っています。

須永 先生がラジオで紹介して聴く人もたくさんいると思うんですけど、そういう存在がなくなってもいいということですか。

伊藤 つまり僕が死んだらメタルの番組がなくなるってことで、今のうち後継者を育てればいいんじゃないかということ?

須永 いやそんなつもりじゃないんですけど(笑)

伊藤 それは難しいよねえ。

倉田 それは伊藤さんの責務じゃないような気がします。

伊藤 そうだよな。業界が全体で考えればいいことだと思うよ。これ時々訊かれる質問だけど、的が外れている気がするな。
1982年2月、福田一郎先生とLA出張時のツーショット。伊藤氏はアイオワ州へRUSHの取材。
須永 CDが売れない時代になってきていますが、楽曲の良さや演奏力、バンドの実力以外で人気やセールスに繋げているアーティストも多いと思います。音楽をメインにせず、握手券などを付けてCDを売るアーティストが多いですが、そういうやり方についてはどう思いますか。

伊藤 いい風に考えると、CDを売るために色々工夫をしているんだろうね。アメリカなんてチケットに音源が付いてくるんだよ。METALLICAもマドンナもやっていたよね。アメリカのソニーの社長が言っていたのは、基本的にレコード会社にロック・バンドは要らない、ロックは売れないということ。ヒップホップみたいな売れるものだけでいいと。ただロックの興行は売れる。でもそれはレコード会社の仕事ではなく、プロモーターの仕事であると明確に線引しているんだよ。アメリカのチャートは、売れているのが、CDが何%、ストリーミングが何%ってわかるんだよ。ビルボードのトップ10に入っている作品でフィジカルのパーセンテージが高いのは、カントリーかハードロックだね。その80%以上はCDかダウンロード。ヒップホップは99.999%がストリーミングなんだよ。だからファンの気質がハッキリと分かれているんだよね。僕なんかはいまだにCDだけどね。だって番組でかけるからさ。

須永 でもプロモーション用にはデータで送る方がエコですから。

伊藤 そうしているレコード会社もいっぱいあるんだよね。レコード会社のオムニバスのサンプラーも最近はメールで届くらしいよ。7月の推しはコレみたいな10曲くらい入っているやつ、昔はコンピレーション盤が届いたんだけどね。僕はよく知らないけど、アイドルは握手会とかあるんでしょ、付加価値として。どうなのかな難しいな。もっと簡単な質問してよ、弾む質問をさぁ(笑)

須永 すみません…。じゃあこれは個人的な質問なんですが、仕事で苦手な人と接しなければならない時、私は顔に出てしまうんですけど、どうすればいいでしょうか。

伊藤 仕事しなければいいんじゃない?

須永 (笑)

倉田 伊藤さんと須永さんではフリーランスとサラリーマンで、ちょっと立場が違いますからね。

伊藤 大体ね、キミが苦手だと思っている人は、たぶん相手も苦手だと思っているよ。だからそこはスキップしてプロモーションした方がいいと思うよ。

須永 (笑)…先生は苦手な人っていないんですか?

伊藤 あまりないよ。苦手な奴は最初から寄って来ないからね。まあ僕も若い頃は苦手な人がいたよ。例えばラジオのディレクターとか。大体ね、世の中で活躍する人ってめちゃくちゃ癖のある人なんだよね。凄く怒る人とか、態度の悪い人がいっぱいいたんだよ。レコード会社の人がプロモーションで放送局へ売り込みに行っても、受け取ってくれない人もいたんだよね。でも隙間を縫ってかけてもらわなければならない。そういう所を突破しなきゃならないわけで、相手がどういう人なのか見抜かなきゃならないんだよな。僕もADとして一緒に働いていて、コイツなんとかならねぇかな、みたいな人はいっぱいいたよ。でも苦手な人はお互い避けちゃうし、それでも仕事は通用するからね。レコード会社の人でハードロックを担当すると、どうしても僕のところにプロモーションに来なきゃならなくなっちゃうじゃない? 少し前までは忘年会やっていたんだけど、毎年20人か30人くらい来ていたからね。

 

丸くなったと証言する人多数


須永 私はずっと優しくして頂いていますが、昔は先生もすごーく怖かったと聞きますが。

伊藤 ああ、なんかそうみたいだね。よく言われるよ。

倉田 僕も怖いと思っていました。

伊藤 例えば?

倉田 人を寄せ付けないオーラが常に出ていました。

伊藤 ある程度のステータスのある人は皆そういうオーラがあるんじゃないの? 例えばさぁ、ビートたけしさんや秋元康さんもそんな感じあるんじゃない?だからさ、フラフラと誰かに寄って来られちゃう人は、きっとオーラが無いんでしょう。長嶋茂雄さんとかジョン・ボン・ジョヴィとか、凄いオーラがあると思うよ。

須永 今でもオーラはあるんですけど、みんなが伊藤さんは最近丸くなったと言っています。

伊藤 それよく言われるけど、自分ではわからないんだよ。

倉田 加齢ってことじゃないですかね。

伊藤 そうかもな(笑)。昔はピリピリしていたかもしれないけど、自分ではわからないな。その辺は今度の『政則十番勝負』のセーソクチルドレンによる「伊藤政則被害者の会」(※)で明らかになるんじゃないかな(笑)
1976年頃、自宅にて。

漲るパワーの秘訣とは


須永 これまで生放送の病欠って一度もないと思うんですけど、いつもお元気でいらっしゃる秘訣はありますか?

伊藤 病欠はないんだけど、酔っ払って階段から転んで腕を折ったことがあったんだけどね。その時も番組はやったんだよ、テレビじゃないから。ラジオだと余程じゃない限り、放送はできるからね。テレビは2回だけ広瀬編集長に代わってもらったことがあったけど。それくらいだね。ラジオは一回も欠席はないよ。

倉田 昔、高速道路と電車が完全にシャットアウトしてしまって、局まで辿り着けなかったことがありましたよね。

伊藤 ありえない台風でね。それは事務所から電話で繋いでやったんだよね。そういう事故みたいな感じのことはあった。でもさ、80年代は『ロックトゥデー』を月曜日に幾つか録音して海外に飛び、金曜日に帰国して『TOKYOベストヒット』をやり、再び土曜日にアメリカへ向い、また、金曜の夕方に戻ってそのままニッポン放送に入って番組をやったりしていたよ。今考えると怖いけどね。

須永 普段の生活で健康に気をつけてやっていることはありますか?

伊藤 ないね。飲みすぎたら飲まないようにするだけだし。タバコもやめたし。タバコ吸っていた頃、NHKの年末特番をやっていた時に声が出なくなっちゃったことがあってね。仕事のためにやめたんだよ。それくらいで、特に気をつけていることはないよ。

須永 いつも生活に音楽があると思いますが、仕事とプライベートで音楽を愉しむ境界線はあるんですか?

伊藤 昔は電車移動の時、イヤフォンでよく聴いていたんだけど、アレはダメだね。買い物する時とか人に話しかけられた時にいちいち取らなければならないでしょ。面倒だから移動の時はもう聴いていない。新幹線で毎週大阪行く時は往復聴いているよ。最近ジャーマンプログレとかよく聴くね。ロンドンの泊まっているホテルがスマホを挿すとスピーカーで鳴るようになっていて、そこでは大体GS聴いているね。300曲くらいGSを入れているんだよ。それを聴きながら本を読んだり昼寝したりする。それがプライベートだな。

倉田 ロンドンでスウィング・ウエストの“雨のバラード”とか聴くんですか。合わない気がするんですけど…。

伊藤 なに言ってんの。ロンドンでもめっちゃ合うよ(笑)



いつまで現役でいるのか


須永 いつまで現役で仕事していこうと考えていますか?

伊藤 考えてないよ。

須永 早くゆっくりしたいなぁとか。

伊藤 今もゆっくりしているから。あまり考えたことないね。宝くじで20億くらい当たったらどうするかって、それでも普段と変わらないだろうね。やっぱり好きなんだよね、ラジオの仕事が。はい。

須永 これまで公にしていない密かな趣味やマイブームがあったら教えてください。

伊藤 人に言えないような趣味はないよ。

須永 そういう意味じゃないです(笑)

伊藤 僕は蟹座のB型だから熱しやすくて冷めやすいんだよ。ガーッと行って、サーッと引く。あっ、チョップドサラダだね。NYで流行ったやつ。野菜を細かく刻むんだよ。ラディッシュとセロリと人参やら何やら野菜を粉々にしてスプーンで食べるんだよ。市販のドレッシングは甘いから、なるべくオリーブオイルをかけているんだけどね。フィリップスのチョップドサラダ用のマシンを買ったんだよ、4000円くらいのやつでさ。

須永 通販で買ったんですか。

伊藤 Amazonで。チョップドサラダは意外と量も食べられるし、生野菜だから腹持ちもいいんだよ。趣味ねえ。僕の趣味なんてみんな知ってるじゃん。時代劇とか読書、ワインとか葉巻とか、全部明らかにしているからね。

倉田 携帯ゲームとかやるわけないですよね。

伊藤 僕はゲームやらないからね。麻雀ゲームくらいだね。一年に2回くらいかな。

須永 最近食べたものでこれは美味しかったものを教えてください。

伊藤 あっ、あるよ。伊勢丹の地下で時々買うんだけど、麻布十番にある中国飯店で「富麗華」ってあるんだけどね。ミシュランの星も取っている店。そこのチャーハンが真っ黒でめちゃくちゃ美味いんだよ。いろいろ6種類ほど買って食べてみたんだけど、ここのカニ玉が抜群に美味かったね。店で食べたらこれ絶対に美味いんだろうなと思ったんだけど、行きたくてもなかなか予約が取れないんだよ。コースが何種類かあって、一番高いのは3万いくらだったかな。ま、ミシュラン取っているから仕方ないよね。でもカニ玉の味にはビックリしたよ。

須永 先生はグルメなので色んなお店によく行かれますけど、やっぱり食にこだわる事は人生の中で重要ですか?

伊藤 食べることは重要だねえ。お酒もそんなに飲めなくなってきたから、回り道しないで最初から飲みたいものを飲んだほうがいいなって思うね。最近焼肉がブームになっていて、それは自分で焼かずに焼いてくれる人がいる店なんだけどね。確かに美味いんだけど、どんなことをやっても肉は肉だから、味は肉なんだよ。もういいかなって感じになっちゃう。焼肉ってもうそんなに食えないな。美味いんだけどね。魚とか寿司とか和食のほうがいいな。神楽坂にある割烹で石かわ、虎白、蓮(銀座に移転)って3軒あるんだけど、ここのグループだけでミシュランの星8つくらい持っているんだよ。行きたいなと思っても、なかなか予約取れないんだけど、何年かかけて全部行ってみたんだよ。で、3軒食べてみたら、懐石の中でも自分の好みがあるわけ。それがわかったことが嬉しかったな。しょっちゅう行ける店じゃないけどさ。やっぱりね、美味いもの食べている時がいちばんいいな。



新たにチャレンジしてみたいこと


須永 全く話は変わりますけど、私、先生のそのティアドロップ型のメガネが大好きなんですけど、基本ずっとその形のものしか掛けていらっしゃらないですよね?

伊藤 昔はレイバンとかかけていたよ。これってもはや大橋巨泉さんのメガネみたいなものだからね。巨泉さんのメガネって伊達でしょう。以前、「それレンズ入っているんですか?」って訊かれたことがあるよ(笑)。今のメガネはもうトレードマークみたいなものなんだけど、もう売ってないんだよ。福井県の鯖江にはメガネメーカーがたくさんあるんだけど、メガネ屋のおじさんにこれもっとありませんかって訊いたら「もう作ってない」って言われて。それでもあったら買うからって探してもらったの。二ヶ月後に連絡が来て、一個だけあったんだ。それはストックしてあるよ。読書も原稿書く時も同じスタイルのメガネを使っていて、サングラスも同じ形。

須永 最初見つけた時は「これだ!」と思ったんですか?

伊藤 そんな感じじゃないよ、「ま、これでいいか」みたいな感じだったよ。70年代中頃じゃないかな。昔の写真を見るとレイバンをかけているから。でもこれを60年代っぽいっていう人もいるんだよ。HALESTORMにインタビューした時、「ワオ!」って言われたよ。ちょっと今いないみたいよ、こういうメガネと、あとこういう靴を履いている人は。

須永 今またリバイバルでギャルの間で流行ってたりもしますよ。でもたまには違うフレームのものもかけてみたいと思いません?

伊藤 まったく思わないね。

須永 それでは最後の質問です。今年『政則十番勝負』がありますけど、その次に実現させたいこと、新たにチャレンジしてみたいことがありましたら言える範囲で教えてください。

伊藤 うーん、特にないな。

須永 えーっ? そんなぁ。

倉田 レギュラー番組を増やすとかどうですか。

伊藤 ああ、可能性はゼロじゃなかったのが、旅行会社がスポンサーの番組で、僕が見てきた海外の色んな都市の話をしながら音楽をかけたり、あるいはゲストを迎えて海外でコンサートをした時どうだったとか、色んな国の食の話とかするっていう番組ね。で、代理店に出す企画書を作る際、“何カ国行ったことがありますか”って訊かれたんだけど、調べてみるとあんまり無いんだよね。だってアメリカで一カ国だから。都市ならいっぱいあるんだけどね。大体ロックのない国には行かないでしょ。それに旅行好きでもないから、ベトナムとかドバイとかわざわざ行かないじゃん。でもさ、原点に帰って、AMで番組やりたいなって気持ちはなきにしもあらずだね。あとは去年、タワレコで開催したメモラビリア展で全部のグッズを飾りきれなかったんだよ。それがちょっと心残りだったな。あとやりたいことあるかなあ…。

須永 またバンドのプロデュースを手掛けてみるっていうのはいかがですか?

伊藤 手間暇かかるからね。若い頃だったらいいだろうけど。昔はね、EARTHSHAKER、ANTHEM、OUTRAGEとかやっていたけど、なかなか大変なんだよね。

倉田 それでも伊藤さんはプロデューサー気質を持っている人ですよね。

伊藤 自分の好みのバンドじゃないと無理じゃないかな。僕のプロデュースはリック・ルービンに近いかもね。彼ってエンジニアじゃないから、バンドにこういう方法でこういうアイデアでこういうことをやるんだと。やるとすればそういうタイプのプロデュースになると思うけどね。でも付きっきりでは大変だろうな。最近このバンド凄いなっていうのはあまり無いね。VOLBEATやBARONESSもいいバンドだけど若くないし。もっとデビュー2枚目とかさ、やるならそういう若いバンドがいいんだろうけど。

須永 ではそんなところで。拙いインタビューですみませんでした。ありがとうございました。

伊藤 はい、ありがとう。

<脚注>

(※01)1985年4月に発売された伊藤政則氏の著書『ヘヴィ・メタルの逆襲』。

(※02)伊藤政則氏の著書『セーソクの法則』。

(※03)おそらく1985年4月の出来事で、正確にはダブルデッカーで行われた模様。

(※04)欧米におけるベンチャーズやビートルズなどのロック・グループの影響を受け、1967年(昭和42年)から1969年(昭和44年)にかけて日本で大流行した音楽のムーヴメント。略称GS。

(※05)当時の日本は封建的な古くさい社会であったため、長髪やエレキギターは不良に結びつけられていた。

(※06)TBSラジオの深夜番組『パック・イン・ミュージック』金曜日を担当していた野沢那智と白石冬美(ナチチャコ コンビ)のこと。1967年7月31日~1982年7月31日まで、15年間放送された。番組終了が決まった際は終了反対運動が行われたという伝説の番組。

(※07)日本の映画会社、日本アート・シアター・ギルドの略称。1961年から1980年代にかけて、きわめて非商業主義的な芸術作品を制作・配給し、日本映画界に多大な影響を及ぼした。

2019年9月14日発売!
BURRN! PRESENTS『 THE伊藤政則』

丸ごと1冊、伊藤政則!
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『THE伊藤政則』
2019年9月14日発売
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