丹下眞也(OUTRAGE)インタビュー

Interview
丹下眞也(OUTRAGE)インタビュー
2019年5月8日(水) アナログ7インチEP「Axe Crazy」リリース!
◆収録曲
1.Axe Crazy(respect for Jaguar)2.Baphomet -M.F.M.Ver.-(respect for Angel Witch)
Produced by Masa Ito

70年代末に英国で勃発した“New Wave Of British Heavy Metal(NWOBHM)”ムーヴメントが今年で40周年を迎える。当時、名古屋の高校生だったOUTRAGEのメンバー達もこのムーヴメントに感化されたのだった。彼らは5月にNWOBHM 40周年リスペクト企画として、アナログ7インチEP『Axe Crazy』をリリースする。ドラマーの丹下眞也氏に当時の思い出を中心にNWOBHMへの想いを語ってもらった。

丹下眞也とNWOBHM


──丹下さんがロックを聴き始めた時はもうNWOBHM(※01)のブームは始まっていたんですか。

丹下 1979年にはすでにロックを聴いていたんですけど、その時はまだハードロックでした。同じアパートに住んでいた3つ上くらいのお兄さんがDEEP PURPLEやLED ZEPPELINを聴いて、ギターも弾いていたので、その音が聞こえていました。1980年のIRON MAIDENのファースト・アルバムは、ほぼリアルタイムでした。

──ということは初来日の辺りですね。

丹下 初来日の時はすでにIRON MAIDENが大好きだったので、セカンド・アルバム発売くらいですかね。あと、阿部洋介(OUTRAGE/guitar)のお兄さんがメタル好きだったのでレコードをたくさん持っていたんです。その影響が大きいですね。

──阿部さんの家は近所だったんですか。

丹下 歩いて7、8分くらいのところでした。

──近所にそういうお兄さんがいるって凄く重要なポイントですよね。

丹下 お兄さんの部屋には国内で発売されたメタルがたくさんありました。SAXONやDEF LEPPARDなどがあったんですけど、お兄さんがいない時じゃないと聴けないんですよね。一度に何枚も聴けないので、一枚づつ順番に聴いていくんです。

──地元にレコード店はどれくらいあったんですか。

丹下 新星堂と音楽堂、あと一軒そのどちらにもないものを売っている店がありました。

──7インチ(※02)は売ってなかったんですか。

丹下 なかったです。LPか12インチのシングルでしたね。先日、伊藤政則さん(音楽評論家/DJ)もおっしゃっていましたけど、あの頃、東京でも7インチを売っている店はなかった。だからロンドンやアメリカで買うしかなかったと。その頃、僕は名古屋で雑誌『音楽専科』に載っている輸入盤店の広告を見て、東京に憧れていました。

──東京に行くのはいくつの時だったんですか。

丹下 高校1年の時ですね。

──その時に西新宿を初体験したんですね。

丹下 行ったのは、キニーとか新宿レコードだったかな。子供だったからそんなにあれこれ買えないので、やっぱり国内盤が発売されているレコードを皆で順番に買っていく感じでした。主にIRON MAIDEN、SAXON、ANGEL WITCH、GIRLSCHOOL、あとはVENOMとかRAVEN、TANKとかを聴いていました。本当にマニアックなバンドはもう少し大人になってから聴きました。

──NWOBHMが10周年の時に再評価されましたね。METALLICAのラーズ・ウルリッヒが監修したNWOBHMのコンピ盤(※03)が出た頃、中古盤店で一気にプレミアが付いてしまった。

丹下 名古屋にアメリカ人の友達がいて、21歳くらいの頃に出会ったんですけど、かなりのコレクターだったんです。“ウチに来てレコードの整理を手伝ってくれ”と言われて、行ってみたら見たこともない7インチシングルがたくさんあったんです。彼は後々、海外に買い付けに行ってレコードを売る商売を始めるんですけど、そこでアルバイトさせてもらっていました。100円で買付けてきたものが1万5000円くらいで売れていくという。

──そうなんですよね、あの頃東京にもいましたよ、中古盤店を巡って100円のレコードを漁って他の店で高く売っている人が。

丹下 ちょっとヨーロッパ行ってくるわって、2ヶ月位するとたんまりレコードを持ち帰って来たんですけど、見たことのない盤ばかりで驚きました。JUAGARみたいなバンドを知るのはその時のことです。彼すらも知らないバンドを買い付けて来たりするので、一緒に聴いていました。カッコいいものもあれば、つまらなかったりすることもあるんですけど。つまらない盤でも1万5000円くらいで売れていくという(笑)。その友人は、とあるレコード店で高い盤を1枚買ったら、店主が奥の倉庫に眠っていた新品のシングル盤を100枚くらい丸ごとタダでくれたって言ってましたね。

デニムジャケットとエアギターを見て“なんだこれカッコいい!”


──NWOBHMは10周年のタイミングで再評価されますけど、そのちょっと手前は底値だったんでしょうね。日本でもブームになる前は中古盤店でNWOBHMのバンドのシングル盤が安く売っているのをよく見かけましたし。

丹下 英国ではゴミ同然に扱われてて、“こんなもの誰が聴くんだ”って感じだったんでしょう。それを日本人が喜んで買っていたという。たぶん、リアルタイムで聴いていない人が神格化しちゃたんでしょうね。

──伊藤さんのラジオ番組は名古屋で聴けたんですか?

丹下 ラジオは聴けましたけど、最初にNWOBHMを知ったのは雑誌『ミュージックライフ』と『音楽専科』ですね。『ミュージックライフ』はGIRLみたいなルックスのバンドがよく載っていましたけど、『音楽専科』は伊藤さんがコーナーを持っていて、そこでNWOBHMのバンドがよく紹介されていました。それで衝撃を受けたのが、ニール・ケイ(※04)やバンドワゴンの様子でした。デニムジャケットを着てエアギターを演っている写真を見て“なんだこれカッコいい!”みたいな(笑)。

──あれはカッコいいですよね。それでパッチGジャンを作るようになるんですか。

丹下 中学生の頃にミュージックライフの増刊号で『ザ・ヘヴィ・メタル』(※05)っていう本があって。表紙がパッチGジャンの背中の絵なんですよ。それを真似して同じものを作ろうと思ったんです。近所にお爺さんとお婆さんが2人でやってる刺繍屋さんがあって、僕はMOTÖRHEADのロゴを赤く縫ってもらって。友達はWHITESNAKEのロゴを縫ってもらったんですけど、一週間後に取りに行ったらロゴの蛇の目の部分が赤くなってて、“サービスで赤くしておいたよ”って(笑)。

──わはははは!

丹下 ショック受けてましたよ、楽しみにしてたのにオリジナルと違うから。たぶん、その刺繍屋さんってヤンキーの学ランに刺繍入れてたと思うんですよ。だから蛇の眼が赤いのは、ヤンキー的にカッコいいと思ったんでしょうね(笑)。

──要らないサービスでしたね。

丹下 下書きは自分達で描いて、本の表紙を見せて同じようにしてくれって。その店で色々作りましたよ。G-FORCEとかMSGとかSCORPIONSとか。でも10枚単位で作ると安くなるから、結果として友人皆が同じパッチを付けているという(笑)。

──わははははは! 

丹下 あの頃、パッチをすぐに買えるのはロック座(※06)でしたよね。でもあそこで売っていたパッチってラメでキラキラしていたりするんで、あまり好みではなかったんです。だから大須の刺繍屋で作っていたんですけど、東京に行ったら渋谷にラモスカ(※07)ってパンクショップがあって、見たこともないめちゃくちゃカッコいいパッチがたくさん売っていた。そのうち名古屋の輸入盤店でも仕入れるようになってそこでも買いました。でもその店はアメリカで人気のあるバンドが多かったんです。VAN HALENとかTRIUMPHとか。ラモスカは英国から流れてきているからMOTÖRHEADとかそういうバンドのパッチがあったんです。

──パッチって正規品じゃないものがほとんどですよね。

丹下 今思えばほとんどブートレッグですよね。コンサート会場でも売ってたんでしょうね。以前、英国へMOTÖRHEADを観に行った時、中で普通に正規の商品売ってるんですけど、外の屋台でバッタもん売ってましたよ。マフラーとか。

──当時パッチGジャンを着てる人はどれくらいいたんですか。

丹下 Gジャンにパッチ付けてるような人、名古屋にはほとんどいなかったですね。そもそもMOTÖRHEADのライヴ会場だって、男性が少なかったですから。

──え!?

丹下 明らかに女性が多かったですね。あの頃メタルは女性が多かった。今よりも比率は女性が多かったはずです。『ミュージックライフ』を読んでJAPANとかああいうバンドが好きだった人が流れてきたケースもあったんでしょうね。TYGERS OF PAN TANGも美形でしたし、GIRLとかね。

──なるほど、そうだったかもしれませんね。

あの頃メタルの現場は女性が多かった


──MOTÖRHEADの初来日公演はどこでやったんですか。

丹下 名古屋市公会堂でした。『IRON FIST』のツアーでエディ・クラークがアメリカで脱退して、急遽ブライアン・ロバートソンが加入して来日した時(※08)です。『Another Perfect Day(邦題/悪魔の化身)』が出る前だから、たしか高校1年生の時でした。客席の真ん中にPAブースがあって、そこまでしか人がいませんでしたけどね。

──その頃はもうMOTÖRHEAD人気も下がっていたんですね。エディがいないというのも痛かったんでしょう。

丹下 その時、仲間と追っかけて名古屋駅まで行ったんですけど、皆同じパッチのGジャン着てて(笑)。レミーと一緒に写真撮ってもらったんですけど、胸ぐら掴むポーズしてくれましたよ(笑)。

──それは最高ですね!

丹下 あとフィルシー・テイラーは舌を出してくれました。ブライアン・ロバートソンはその時、食あたりか何かで、お腹こわしてたみたいで。全然元気なくて、お腹押さえてて“こっち来るな”みたいなオーラ出してました(笑)。

──わははは!

丹下 グルーピーのお姉さん達からその情報を聞いてたんですけどね。“ブライアンは具合悪いみたいだから近づかない方がいいわよ”って言われてたんだけど、やっぱ写真撮りたいじゃないですか。すごく嫌そうな顔してましたけど(笑)。

──“グルーピー”って言葉(※09)も今となっては死語かもしれませんが。

丹下 いるんですかねえ(笑)。

──まったく見かけませんね。他のジャンルにはいるのかもしれませんが。

丹下 そのお姉さん達に結構可愛がられてましたよ。中学生だったし。それにホテルでずっと待ってるからよく一緒になるんです。ひとりじゃなくて、友人達と交代で。しかも同じパッチGジャン着てますからね(笑)。あとガンベルト(※10)が買えなくて、金物屋で太い鎖を買って腰に巻いていたんですよ。鎖をジャラジャラさせて同じパッチを付けたGジャンの少年達が追っかけしてるって、わりと有名だったみたいです(笑)。

──わはははははは!

丹下 学校休んでホテルまで行って。あの頃、リッチー・ブラックモアにもサイン貰いましたよ。リッチーってサイン書きたがらない人なんですけど、その時はしてくれましたね。

──名古屋は追いかけやすくていい環境だったんですね。東京だとホテルがいっぱいありすぎて、どこへ行けばいいのかわからないですから。

丹下 名古屋は3つくらいしか候補がないから、どこかへ行けば必ず来るんです。お姉さん達と仲良くなってからは“今日はあそこのホテルだ”って情報が流れてくるようになりました。コンサート会場でも“今日はすぐに東京戻るみたい”って情報が入ると、終演後は急いでタクシー乗って名古屋駅まで行ったり。そうしているうちにお姉さんのロンドン土産でNWOBHMのレコード貰ったりしましたよ。AⅡZとか。

──AⅡZは日本盤出てませんよね。

丹下 そう、だからまったく知らなかった。あと、MOTÖRHEADの大好きなお姉さんが“VENOMって可愛い男の子達がいるから要チェックよ”って、日本盤が出る前に言ってたのを覚えています。後で写真見たら汚らしくて“なるほど”と思ったんですけどね。

──ああいうのが好みだったんですね(笑)。

丹下 そのお姉さん、MOTÖRHEADのコンサートで2階の最前列でレミーに向かっておっぱいブルンブルン揺らせてましたよ(笑)。名古屋市公会堂の2階席ってせり出してるから、2階の最前列だと1階の最前列とさほど変わらないんですよ。

──あの頃、メタルの現場にセクシーなお姉さん達がいっぱいいましたよねえ。コンサートの最前列はそういう人達ばかりだったし、ツバキハウス(※11)にもいっぱい来ていましたし。

丹下 憧れましたね(笑)。

今でもゾクゾクする曲がありますね

──今回カバーしたのは特に思い入れの強い楽曲ですよね。

丹下 IRON MAIDENやSAXONは大好きなんですけど、OUTRAGEとして演るのはちょっと違うなって思うんです。ANGEL WITCHは中学の頃にコピーしてましたから。NAOKIが入る前でしたね。あとブリティッシュじゃないですけど、フランスのTRUSTはANTHRAXがカバーする前からやってましたよ。TYGERS OF PAN TANGは「GANGLAND」をやっていたんですけど、後にKREATORがカバー(※12)してて“同じことやってるんだ”と思った。それからMETALLICAがSAVAGEの「LET IT LOOSE」を若い頃にやっていたという話も聞いて、やっぱり同じ時代に同じものを聴いていたんだなって思いましたね。日本とアメリカに同時にNWOBHMが入って来てるんですよ。まあラーズ・ウルリッヒはヨーロッパ人だから情報も早かったんでしょうけどね。『KERRANG!』とか『SOUNDS』も読んでたでしょうし。

──『KERRANG!』など海外の雑誌は読んでいましたか。

丹下 だいぶ後ですけどね。『All For One』(1983年)でRAVENが表紙になった時はもう読んでいましたね。名古屋の輸入盤店でも売っていました。『METAL FORCES』なんてファンジンも入荷してましたね。

──あの頃、そういう雑誌って1000円くらいしましたよね。

丹下 そう、だから誰かが買って回し読みしてました。

──『BURRN!』も創刊前だったし、皆が情報に飢えていました。

丹下 情報を得るのはやっぱり人なんですね。友達が何かを買ってそれがテープで回ってきたり。そもそも自分の家にはプレーヤーが無かったですから。大抵の場合、お兄さんがいる家にプレーヤーがあったんです。中学生でステレオセットを持ってる子は少なかったですからね。あとお兄さんの家へ行くとエロ本もあるという(笑)。

──皆、そうやって大人になっていくんですよね(笑)。今の若い子はどうしてるんでしょうね。

丹下 今は音楽もエロもインターネットでしょうね。簡単に見つけられちゃうし、発掘するという感覚はないでしょうね。

──NWOBHMのほとんどすべての音源がネットで聴けちゃうんですよね。

丹下 昔からOUTRAGEの体質として、IRON MAIDENやSAXONは大好きでしたけど、それをあえて公言せずに、知る人ぞ知るANGEL WITCHやTANKが好きって言ってました。SATANが好きって言ってみたり。結局、そういう奴らが自然と集まってくるんですよ。うるさい音楽が好きな奴らが。VENOM好き、RAVEN好きっていう奴なんてほとんどいなかったですからね。国内盤は出ていましたけど、誰が好きだったんだろう。今思うと不思議ですね。

──女性の感性は尖ってますよね。

丹下 そうですね。NWOBHMって皮ジャンとかパッチとか、ファッションも含めて憧れていましたね。それはパンクやバイクの文化も通ってああなったんでしょうけど。それまでのLED ZEPPELINやDEEP PURPLEにも、アメリカのバンドにも無かった部分ですね。

──丹下さんはパンクも聴いてらしたんですか。

丹下 もちろんリアルタイムじゃないですけど、阿部さんのお兄さんのコレクションの中にもありましたから、普通にTHE DAMNEDやSEX PISTOLSも聴いてましたよ。バンドは中学の時に始めたんですけど、学校には他にパンクバンドとYMOみたいなことをやってるバンドがいて、機材を買えないから皆でシェアしてやってて。パンクバンドの練習も見に行ったりしてましたね。

──機材をシェアしていたんですか。

丹下 ドラム持ってる奴なんかひとりくらいしかいないので。あと練習スタジオがあるということも知らなかったんです。スタジオっていうのは、『ザ・ベストテン』で“スタジオから中継でーす”ってサザン・オールスターズが鏡張りの豪華な場所にいる印象なんです(笑)。TVに出るような人達が使う場所だと思っていたから、公園にドラムセットとかアンプを持っていって、マイクはギターアンプに繋いで歪んだまま歌っているみたいな感じで。電源は公園に一番近い友人の家から延長コード繋いで引っ張って来て(笑)。

──苦情来ますよね(笑)。

丹下 苦情が来たら次の公園へ行くんです。冬は焚き火をしながらやってて。

──それも叱られそうなんですけど(笑)。

丹下 今じゃ絶対出来ませんね(笑)。

──それにしても若いと何でも出来ちゃうんですねえ。

丹下 昔は家でも叩けましたよ。ちょっと田舎の方に住んでいる人なら“日曜ならOK”とか“夕方までならやってもいい”みたいなルールがあれば家でドラムを叩けた。僕たちが公園でやっても、当然叱られたこともあったんですけど、直ぐに警察が来るようなことはなかったですから。

──いい時代ですね。

丹下 大らかな時代でしたね。そうしているうちに、名古屋の伏見にYAMAHAのスタジオがあるという情報が入って、その時“練習スタジオってあるんだ”と気がついて(笑)。

──わはは!

丹下 当時VAN HALENの曲をコピーしてたんですけど、ヴォーカルの奴が喜んじゃって、張り切ってデイヴ・リー・ロスのマネして仰け反ったら、そのまま後ろに倒れてバーンって頭打って(笑)。

──わはははは!

丹下 タンコブ作ってましたよ(笑)。ツインペダルが無い時代なので家からバスドラを裸のまま持って地下鉄に乗って通ってましたね。そういう時代でした。

──そんな、いちばん楽しかった時代にいちばんよく聴いていたのがNWOBHMということなんですね。

丹下 実際この2曲を選ぶときにあらためてどんな曲があったのか、YouTubeで聴き始めたら楽しくて止まらなくて、ビール飲みながら気がついたら2時間経っていました。今でもゾクゾクする曲がありますね。後追いで聴いた曲でも、今でもカッコいいなと思う曲と、今聴くと大したことないと思う曲に分かれたりして。面白かったですね。

OUTRAGE / Axe Crazy *Short Ver.

丹下眞也の選ぶNWOBHM楽曲ベスト3


──それでは最後に丹下さんのNWOBHMの楽曲ベスト3を挙げて欲しいのですが。

丹下 今でも聴いてゾクゾクするのは後追いじゃないリアルタイムで体験したバンドの曲になりますね。TANK、GIRLSCHOOL、TYGERS OF PAN TANGかなあ。

──なるほど。

丹下 TANKは「Shellshock」(※16)ですね。「Turn Your Head Around」も好きです。

──やっぱり3人組の時代になりますか。

丹下 4人になってからの作品も好きなんですけどね。曲が長すぎるしキーボードが入ってたりして。曲としては3人の頃、ファーストとセカンドですね。

──続いてはGIRLSCHOOLです。

丹下 「C'mon Let's Go」(※17)。実はGIRLSCHOOLが初めて観た洋楽バンドなんです。中3の時にSAXONとIRON MAIDENとGIRLSCHOOLが来日してるんです。IRON MAIDENを最初に観る予定だったんですけど、その少し前に来たSAXONはテニスの試合があって観に行けなかったんです。中学の頃、かなり真面目にテニスをやっていて、愛知県の大会へ行くくらいのレベルだったので。IRON MAIDENは阿部洋介と一緒にチケットを買いに行ったんですけど、その時修学旅行の日と被っていることに気づくんです。さすがに中学生で修学旅行を休んでまでコンサートへ行くという感覚はなかったんですね。だから僕だけ買わなくて。だから阿部洋介はメイデンの『Made In Japan Live!(ヘヴィ・メタル・アーミー)』の裏ジャケ(※18)に写っていますよ。で、GIRLSCHOOLを観に行った。今でもめちゃくちゃ好きですね。何年か前にロンドンの会場で出待ちした時は緊張しました。一緒に写真撮ってもらって(笑)。

──中学生の頃から何も変わっていませんね(笑)。そしてTYGERS OF PAN TANGです。

丹下 TYGERS OF PAN TANGも観に行きました。来日署名運動もしましたよ。美形だったので女性人気が高かったから、そういう運動が起きるんですね。でもジョン・サイクスが来なくてフレッド・パーサーってギタリストが来てね。それでも人気があったからツバキハウスでファンミーティングが行われてました。子供の三輪車に乗ってるメンバーの写真を雑誌で見た記憶があります。TYGERS OF PAN TANGはやっぱりセカンドですね。1曲目の「Gangland」(※19)。ファーストのヴォーカル、ジェス・コックスも味があって好きなんですけどね。あとDEF LEPPARDが好きですね。今となってはメタルのイメージは無いですけど、ファーストとセカンドはメタルでした。声が好きなので、今のスタイルになっても好きなんですけど。何が好きかと問われると、結局日本盤が出ていたバンドばかりになってしまいますね。

──中学生の頃夢中になっていた音楽って今聴き返しても燃えますね。

丹下 今回カバーEPを作るにあたって選曲する時、難しいなと思いましたね。やっぱりリアルに聴いていた曲は自分の中に血が流れている感じがしましたから。大好きなRAVENは当時コピーしなかったんですけど、RAVENのような曲を作ろうと、いつも思っていました。ANGEL WITCHはオムニバス『Metal for Muthas(邦題/ヘヴィ・メタルへの招待)』(※20)が出た時から聴いていたし、バンドでは「Confused」をコピーしていたのですり減るほど聴いていました。ANGEL WITCHのTシャツがどうしても欲しくて、Tシャツ屋さんにLPジャケットを持っていって作ってもらいましたからね。だからこのシングルはケヴィン・ヘイボーンに送ろうと思っています。
──『極悪祭』(※21)でANGEL WITCHが出た時は感動しました。

丹下 そもそもANGEL WITCH好きな奴なんかいなかったんですけどね。ANGEL WITCHを知ってる奴は皆友達ですから。Tシャツも10枚単位で作ると安くなったりするんで、友達全員が同じTシャツを着ていた(笑)。そもそもTシャツってコンサート会場でも売ってなかったですからね。ロック座のような店もありましたけど、バンドTシャツってテキ屋さんが売っていたイメージですよ。

──そうですね、僕もバンドTシャツって原宿とか上野の屋台で買うものだと思っていました。

丹下 そういう感覚ですよね。昔の原宿では缶バッジとかも売ってましたよね。ジャケットがピント合ってなかったりしてて(笑)。

──ありましたねえ。

丹下 今日はいろいろ懐かしい話をしましたけど、そういうことを思い出させてくれるバンド達のことは絶対に忘れませんね。本当に細部まで聴いてましたから。だからこのシングルを聴いて懐かしいと感じてくれたり、1枚のシングルを1万5000円で買っていたマニアな人が聴いて“OUTRAGE、頑張ってるじゃん”って感じてもらえたら最高です。


脚注


(※01)NWOBHMとはNew Wave Of British Heavy Metal(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)の略で、1970年代後半のイギリスで勃発した音楽ムーブメントのこと。IRON MAIDEN、DEF LEPPARD、SAXONなどが代表的なバンドとして挙げられる。

(※02)1980年代前半に乱立したインディーズ・レーベルから多くの7インチシングルをリリースした多数のバンドがNWOBHMムーヴメントの中核を成していた。後年、血眼になってレア盤を探すコレクターが続出した。
 (9799)

(※03)1990年にリリースされた『New Wave Of British Heavy Metal '79 Revisited』のこと。日本盤CDは日本フォノグラムからリリースされた。
 (9801)

(※04)英国のDJ。70年代後半にロンドンでヘヴィ・メタル・バンドが次々と登場するきっかけを作った人物のひとり。彼が主催していたのがヘヴィ・メタル・ディスコ“Bandwagon(バンドワゴン)”だった。音楽紙『SOUNDS』では“Bandwagon”のベスト10を発表するコラムを掲載していた。
 (10354)

(※05)1980年のミュージックライフ10月臨時増刊号。

(※06)今もある小川町のシンコーミュージック本社ビルの地下に、かつてあったロック・ファッション・ショップ。

(※07)かつて渋谷に存在したパンク・ロックの店。

(※08)ジャパンツアーの最終日が名古屋だった。プロモーターは音楽舎。
1982年
6月26日 渋谷公会堂
6月28日 大阪毎日ホール
6月29日 中野サンプラザ
6月30日 東京郵便貯金ホール 
7月1日 名古屋市公会堂

(※09)簡単に言うと「有名人と近づきたいがためにロックスターと寝る」女性のこと。後に“ファック隊”なんて言葉も生まれた。
 (9796)

(※10)ガンベルトはNWOBHMの代表的なファッションアイテムのひとつ。写真はありし日のMOTÖRHEAD。この姿に憧れていたのです。

(※11)新宿の大型ディスコ、ツバキハウスで毎週日曜にDJイベント『HEAVY METAL SOUNDHOUSE』が開催されていた。当時のイケてるメタルヘッズはその場に集結。主宰はもちろん伊藤政則氏。

(※12)1988年にリリースされたKREATORのミニアルバム『Out of the Dark... Into the Light』米国盤に収録されていた。

(※13)1982年リリースのセカンド・アルバム『Wiped Out』の1曲目に収録されているRAVENの必殺曲。
 (9798)

(※14)1980年10月にファンジンとしてスタート。現在はオランダとベルギーで流通しているメタル雑誌。大内氏は1985年の8月/9月号の表紙となった。
 (9797)

(※15)1979年に結成。後にIRON MAIDENに加入するブルース・ディッキンソンが在籍していたことで知られるバンド。ドラマーのThundersticks(サンダースティック)の強烈なキャラクターが印象的だった。写真は当時の『SOUNDS』誌の強烈なインパクトの表紙。
 (9804)

(※16)「Shellshock」と「Turn Your Head Around」はともに1982年にリリースのファースト・アルバム『Filth Hounds Of Hades(邦題/激烈リフ軍団)』に収録。
 (9805)

(※17)「C'mon Let's Go」は1981年リリースのセカンド・アルバム『Hit and Run』に収録。
 (9803)

(※18)IRON MAIDEN『Made In Japan Live!(ヘヴィ・メタル・アーミー)』。
 (9806)

裏ジャケはこちら。阿部さんはどこに映っているでしょうか。
 (9802)

(※19)「Gangland」は1981年リリースのセカンド・アルバム『Spellbound』収録曲。
 (10357)

(※20)1980年2月にリリースされた初のNWOBHMコンピレーション・アルバム。ちなみにIRON MAIDENのファースト・アルバムは1980年4月の発売である。
 (10358)

(※21)OUTRAGE 30th Anniversary FEST. XXX SPECIAL『極悪祭 2017』として、2017年7月23日(日)に川崎 CLUB CITTA’で開催されたイベント。出演はOUTRAGEの他にANGEL WITCH、DOOM、CASBAH、COCOBAT with 寿々喜(PULLING TEETH)、石間秀機(FLOWER TRAVELLIN’ BAND)、大谷慎吾(UNITED)。昨年、映像作品『極悪祭2017』としてユニバーサル ミュージックより発売された。
2019年5月8日(水) アナログ7インチEP「Axe...

2019年5月8日(水) アナログ7インチEP「Axe Crazy」リリース!

◆収録曲
1.Axe Crazy(respect for Jaguar)
2.Baphomet -M.F.M.Ver.-(respect for Angel Witch)

Produced by Masa Ito
☆5/8リリース「Axe Crazy」先行試聴&実物Tシャツ展示決定!

タワーレコードの下記店舗にてOUTRAGE『Axe Crazy』先行試聴を実施!
さらに、渋谷店・新宿店・川崎店では<SOUND HOUSE SET>に付属のTシャツ実物を展示!
是非、お近くの対象店舗へお越しください!!

【対象店舗】
・渋谷店
・新宿店
・川崎店
・横浜ビブレ店
・名古屋パルコ店
・大高店
・仙台パルコ店
・広島店

【実施期間】
2019年3月18日(日)~5月6日(月)
※店舗により実施期間が異なる場合や、予告なく終了となる場合もございます。
各実施店舗にお問い合わせください。
≪タワーレコード全店共通 好評予約受付中!≫
・タワーレコード店舗
・タワーレコード オンライン
 https://tower.jp

<完全生産限定販売>
【SOUND HOUSE SET】
・販売価格:9,900円(消費税別)
1、アナログ7インチEP
2、5/18ライブイベント参加券
3、非売品Tシャツ S.M.L.XL
(表:リスペクト・ロゴ、背:メンバーがリスペクトする40バンドの40曲名をデザイン!)

PROV-7006: Tシャツ(Sサイズ)
PROV-7007: Tシャツ(Mサイズ)
PROV-7008: Tシャツ(Lサイズ)
PROV-7009: Tシャツ(XLサイズ)

<完全生産限定販売>
【MARQUEE CLUB SET】
オンラインでは、予定枚数終了!!
・販売価格:2,400円(消費税別)
1、アナログ7インチEP
2、非売品パッチ(リスペクト・ロゴ)

PROV-7010:パッチ(ワッペン)付

注-1: 各品番、おひとり様2セットまでの購入とさせていただきます。
注-2:オンラインでのご注文の際、お一人様が複数回購入された場合は、予告なくキャンセルさせていただく場合がございます。
注-3:全てセット販売商品のため、単体販売はございません。
注-4:各品番、予定数に達し次第受付終了となります。
注-5:SOUND HOUSE SETに封入されているライブイベント参加券の整理番号は、Tシャツのサイズに関わらずランダムとなります。
注-6:パッチ付MARQUEE CLUB SETには、Tシャツおよびライブイベント参加券は付属しておりません。
☆5/18ライブ、Guest GuitaristにJERO(from ABIGAIL)決定!

OUTRAGE Presents N.W.O.B.H.M. 40th Anniversary Respect Live 2019
2019年5月18日(土)
渋谷CUTUP STUDIO(タワーレコード渋谷店B1F)
OPEN 17:00 / START 18:00
ドリンク代別

Act:OUTRAGE
Guest Guitarist:JERO(from ABIGAIL)
Opening Act:EDDIE THE GREAT

<参加方法>
・5/8発売『Axe Crazy』【SOUND HOUSE SET(ライブイベント参加券封入)】を購入
(※整理番号はランダムに封入されています)
・本公演はチケットのみの販売はございません。
・参加ご希望の方は、5/8発売『Axe Crazy』【SOUND HOUSE SET】に同封されているライブイベント参加券をご利用ください。

<Information>
OUTRAGE Official HP  http://outrage-jp.com
タワーレコード オンライン https://tower.jp