伊藤政則の「トーク力」とは何か?『政則十番勝負』開催直前スペシャル・インタビュー

Interview
“日本のメタルゴッド”再び! いよいよ9月14日から開催となる空前のトークイベント『政則十番勝負』を目前に控えた伊藤政則さんがBURRN!ONLINEに再登場。さらに来月にはbayfmのラジオ番組『POWER ROCK TODAY』が30周年を迎えるなど、常に第一線で喋り続けている伊藤さん。今回はその驚異的な“トーク力”にスポットを当ててみました。
──まもなく開催される『政則十番勝負』に向けて、ここであらためて伊藤政則さんのトーク力についてお聞きしたいと思います。

伊藤政則(以下、伊藤) はい。

──伊藤さんはラジオ、イベント、インタビューと様々な場面で喋っていますよね。

伊藤 うん、書くよりは喋った方が簡単だからね。口からでまかせって言い方もあるけれども(笑)。喋ったほうが速いというか…。

──時給に換算すると割がいいとか。

伊藤 いや、そういうことじゃない(笑)。文章を書く際、頭の中で喋るような感覚で言葉を引き出していく作業をするわけだよ。結局、書く前に頭の中で喋っているんだね。それを文章化するということは、非常に時間がかかるからね。最近トークの仕事が増えているのは、速くていいと思ったんだよね。そのまま頭に浮かんだことを喋るわけだから。

──確かに文章を書くのは時間がかかります。ただ、喋りはスイッチをオンにしなければならないと思うのですが、伊藤さんはオンとオフの切り替えはどうしていらっしゃるんですか。

伊藤 何もないよ。そのまんまだよ。

──ええっ、そうなんですか!?

伊藤 例えば、芸人とか喋りの立つ人って私生活ではスイッチを切って静かにしていたり、ムッツリしている人が多かったりするでしょう。

──多いですよね。鬱になる人も多いですから。

伊藤 えっ、どうして鬱になるのかな? 

──笑いを仕事にしていると、色々とあるんじゃないですか。

伊藤 その感覚がわからないな。僕は笑わせるのが仕事ではないけれども…。

──でも芸人的な部分は持っていますよね。

伊藤 うん、それはあるだろうね。でもオンオフのスイッチはないよ。子供の頃からいつもこの調子だったから。

──よく喋る子供だったんですか。

伊藤 喋る子だったね。母親が喋りの立つ人でね。結構、母親からネタもらっているよ。例えば「何回も三回も」とか。あれはウチのお母さんのセリフだから。僕が悪さをすると、「アンタはもう何回も三回も同じことするね」って。これが母親の必殺技だった(笑)。

──人見知りもしない子だったんですか。

伊藤 しないね。

──小中高通して友達も多かったでしょう。

伊藤 どうかね。逆に喋りすぎて煙たがられていた説もあるよ(笑)。でもまあ友達は多かったけれども勉強はしなかったな。とくに高校に入ると、ロックだとか映画だとか女の子だとか、中学生とは明らかに違う景色が見えてくるからね。中学まではわりと一所懸命勉強していたよ。絵を描いたりとかもね。
──高校は進学校だったんですね。

伊藤 そう、進学校だね。でも大学は単純に東京へ行く方便だったから。高3の時、担任に呼ばれて「伊藤、推薦してやるぞ!」って言われたことがあってね。当時設立されたばかりの私立大学が、生徒の数を稼ぐために何人か推薦で入れる枠を設けたんだよね。でも東京の大学じゃないから「結構です」って断ったら、「え、行かないの? 普通に受験して大学に入れるわけないだろ」なんて言われて(笑)。最も嫌いな先生だったから、余計にふざけんなって態度で拒否した。

──勉強が嫌い?

伊藤 だって学校をサボっていたからね。出席率はギリギリではないけど、深夜放送を聞いていたからいつも授業中は寝ていた。学校を途中で抜け出して映画観に行ったりとか、ジャルダンって喫茶店でレコード聴いたりとか遊んでいた。当時、今のような仕事に就きたいって漠然と思っていたから、そのための勉強だったんだけど、それは学校の勉強ではなかったね。物理とか嫌でさあ。前の席の女の子がカンニングさせてくれたことがあったんだけど、どんなにガン見しても書いてある記号がわからないんだよ(笑)。物理の先生に言われたもん、「伊藤、このままだと留年だぞ」って。「先生、そこをなんとか穏やかに、どうかひとつ」ってさ(笑)

──わはははは! トーク力で切り抜けたんですね。

伊藤 役に立ったね(笑)

──ということは、その頃から自分の能力に気づいていたんですね。

伊藤 いや、どうだろうね。人よりは喋れるんじゃないかとは思っていたけど。やっぱりラジオを聴いていたからなんだろうね。深夜放送以外でも、MBSの『ヤングタウン』も聴いていたしね。DJは桂三枝さんだった。それに『オールナイトニッポン』はトークの立つ人ばかりだったから良かったね。ギャグも音楽もあってね。聴いているうちに、トークの回し方っていうか、そういうものが自然と身についていったんじゃないかな。

──毎晩聴いていたんですね。

伊藤 うん、だから寝不足で学校で寝るんだよ。お祖母ちゃんから譲り受けた真空管のラジオを枕代わりに睡眠学習みたいにして聴いていた。母親が時々起きて来て、「うるさくて眠れない」ってラジオを消しに来るんだよね。それくらい大きな音で聴いていたから。糸居五郎さんはディスコをかけるから、そういう時は『パックインミュージック』(※TBSの深夜放送番組)を聴いたり『セイ!ヤング』(※文化放送の深夜放送番組)を聴いたりしていたけど。だからナチチャコも聴いていたんだけどね。『オールナイトニッポン』は局のディレクターとか局アナとか、素人っぽい人がリスナーに寄り添ってトークを展開していたんだよ。

──距離が近い感じだったんですね。

伊藤 そう、そこが良かったし、トークの勉強になった。だから中学時代からトークは得意だった。今日持ってきた中に弁論大会の賞状があるよ。
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──弁論大会で表彰されるとは、かなりのトーク力ですよ。

伊藤 そうかな。小学校、中学校では弁論、読書感想文、それに絵画、書道と一通り賞もらったんだよね。

──それにしてもこの賞状の量は凄いですね!

伊藤 お祖母ちゃんが保管していたのを夏に帰省した時、発見したんだけどさ(笑)。なんだ、これ?って(笑)。これでもまだ全部じゃないんだよ。

──相当期待されていたんじゃないですか。

伊藤 高校に入るとすぐに期待されなくなったね(笑)。でも音楽評論家やディスクジョッキーになる素養はあったんだろうね。文章上手いから読書感想文、トークが立つから弁論、書道は原稿を書く時に役立ったし、絵を描いていたから、アートの雰囲気もわかる。
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知られざるロック喫茶時代のトーク内容

──そういう能力は努力して身につけたわけじゃないんですか。

伊藤 自然と身についたのかな。よくわかんないな。大学のために上京してすぐに住んでいたのは代々木上原だった。そのアパートに毎晩のように高校の友達が集まって来て、酒飲んで、ギター弾いて、毎晩、朝まで話していた。ゴールデン・ウィークになるとさらに凄い数の友人が僕の部屋にやって来た。入り切れないんだよ。もう溜まり場のようになっていたね。だから、すぐに下落合の二部屋あるアパートに引っ越したよ。人が集まってくる星の下に生まれているのかもしれないね。そうこうしているうちに1972年の秋頃からロック喫茶『レインボー』のDJになるわけだ。

──展開が早いですよね。

伊藤 大学に入学して半年後だね。『レインボー』はトーク中心のロック喫茶でね。ほかの店とは色合いが違っていた。常連さんとかのリクエストを読んで、そのアーティストのことや楽曲のことなんかを話しながら曲をかけていくんだよ。僕の少し前に渋谷陽一さんもここでDJをやっていたと本人が言っていました。

──あ、本当ですか。それは知りませんでした。

伊藤 他の店は曲をかけたりするだけなんだけど、『レインボー』はトークが多かった。先日、クリス・ペプラーの番組にゲストで出演した時、彼が高校生の時に『レインボー』に行ったことがあると当然告白してびっくりしたよ。で、僕は最初深夜を担当していたんだけど、何ヶ月か経つと僕のトークを聴きに来る人がドンドン増えてきた。マー坊のトークが面白いって、大学生とかホステスとかヤクザっぽい人とかがね。そのうちマネージャーの中村さんに「マー坊、昼間やってくれ」と言われて、土曜の夜と日曜の午後12時から午後6時の担当に変わったの。いちばん客が来る時間帯なんだけど、もういつも満員で店に客が入れないの。常連がまず入って、その後に飛び込みの客が来ていつも満席なんだよね。客が外で空くのを待っている状態。でもコーヒー一杯で粘る客が多くて、マネージャーに「マー坊、悪いんだけどさ、客が帰りそうな曲をかけてくれ!」って言われて。そんな曲あるのか、どうすればいいのかわからなかったんだけど、とりあえず聴いたことのないレコードを適当にかけていたわけ。例えば、AMON DÜÜL Ⅱ(※01)とか(笑)。でも、どんな曲をかけても客は帰らないんだよね。

──具体的にどんなトークだったのか興味あります。

伊藤 覚えているのは、いろんな常連がリクエストカードにダジャレコーナーみたいなのを書いてきてね。僕に読んでくれと。ある太った少年がなんとかかんとか、みたいな。それはデブの少年だからデブとボーイ、デヴィッド・ボウイなんだけどね。くだらないんだけど、僕もそれに対抗して何か喋るとその度にウケるんだよ。
1973年、レインボー入り口にてDJの和田誠さんと。二...

1973年、レインボー入り口にてDJの和田誠さんと。二階はピンサロだった。

──ぼんやりと『レインボー』の景色が見えてきました。

伊藤 深夜の頃は酔客とか、ヤクザやホステス相手にトークで鍛えていたからね。店にはハッピーっていう用心棒がいてね。いつも悪いもの吸っているからフラフラしているんだけどさ、悪そうな仲間を連れて3人くらいで店にやって来るんだよ。すると仲間のひとりがパチンコで交換してきたのかなんなのか、オージェイズの“裏切り者のテーマ”(※02)のシングル盤を持って来て「これかけて!」って言うんだよ。「そんなのダメだよって」断っても「一回でいいからお願い」って頼み込まれてさあ。それをかけると悪い奴らが踊り出すんだよ。でも悪いもの吸っているからすぐに忘れて、また「これかけてくれ!」って言われて(笑)。「さっきかけたじゃん!」って言っても「聴いてない」って。

──わははは!

伊藤 そんな奴らを毎晩のように相手していたからね、だいぶ鍛えられたんだね。

──いくつもの現場を重ねてきたということは非常に大きかったんですね。

伊藤 そうだね。僕は自分の好きな音楽について語りたいし、知らないバンドとか曲についてのことを聞きたいんだよ。音楽はそういうコミュニケーションツールという側面もあった。それに歌舞伎町やこの街のカルチャーのことを知りたいから人に訊く。聞いたことが知識なっていくから、それが次のトークに活かせるんだよね。

──過去にイベントなどでスベった経験はありますか。

伊藤 ナンボでもあるよ。緊張して何かを言おうとするとスベってしまうね。ちょっとくらいビール入った状態で話すとハマったりする。やっぱり僕のことを知っている人ばかりだといいんだろうけどね。知らない人がいる場所では時々シーンとなってしまうことがあるけれども、でも別にスベっても気にしないよ。

──現代の若者の友人の少なさを気の毒に感じたりするのですが。

伊藤 友達って言っても、どこまでが本当の友達なのかわからないよね。だったら知り合いが多い方が良いんじゃない? 友達をひとり作るよりも、知り合い20人作ったほうがいいんじゃないかな。小学校の頃、僕は身体が小さかったから、野球するにもなかなかまぜてもらえなかった。そこでお祖父ちゃんに頼んでキャッチャーミットを買ってもらったんだよね。皆、グローブは持っているけれど、ミットは持っていないから。すると「じゃあ伊藤、キャッチャーやってくれ」って言われるわけだ。僕はそういう目利きが鋭いんだよね(笑)。あと、僕のお祖母ちゃんのお兄さんって人が、花巻でこけし作りの名人だったの。自宅に工場があってね。ある時、身体が小さいからバットが重くて振れないって相談したら、僕専用の短めで軽いバットを作ってくれたんだよ。軽いから振りやすくて、さらに当たれば飛ぶわけ。で、最終的には「いいね」ってことになって野球に誘われるわけ。僕はそういうテクニックを使うのが得意だった。
1980年8月16日、モンスターズ・オブ・ロックのバッ...

1980年8月16日、モンスターズ・オブ・ロックのバックステージにてSAXONと。

──あと今はスマートフォンの時代だから会話が少ないんです。

伊藤 文章になっちゃうんだな。

──文章ならまだしもスタンプだったり。

伊藤 こないだFM802の『ROCK ON』っていう番組にね、「伊藤さんは音楽評論家で文章を書くプロだからお訊きします、甥っ子が夏休みの宿題で最大の難関である読書感想文が残っているんですけど、何かアドバイスをお願いします」っていうメールが来ていたんだよ。その甥っ子さんは本が好きなのかは知らないけど、この本のどこが嫌いなのかということを書かせたら早いんじゃないかと答えたんだよ。読んでいないから、好きなところ探すのは難しいでしょう? ある知り合いが言っていたよ、昔、読書感想文を提出したら、先生から「読書感想文はあらすじを書くものではありません」って叱られたって(笑)。だったら嫌いなことなら書けるでしょ。漢字が多すぎるとか、何言っているのかわからないとか。そういうアドバイスをしたんだよね。

──凄いですね、なんなんですかね、そういう時の伊藤さんの説得力は。

伊藤 やっぱり口からでまかせというか(笑)

──曲紹介の説得力、リスナーとしても曲の魅力が伝わりやすいんですよね。

伊藤 以前、リスナーから、「伊藤さんの紹介した曲がめちゃくちゃ良いのでCD買いました」というメールが来てね。でもその人は何度かそれを繰り返して聴いているうちに、「伊藤さんのパターンがわかりました、アルバムの中でいちばんいい曲をかけるから、他の曲がまあまあに思えるということが」って(笑)。だって、シングル曲だろうがなんだろうがアルバムのなかでいちばんいい曲をかけるからね。だから説得力はあるのかもね。

──昔、そういうの多かったですね。ビスカヤ(※03)とかジョシュア(※04)とか。

伊藤 あとプロフェット(※05)とかね。いい曲を探すのは上手いんだよ。そういう意味での説得力はあるんだろうな。僕の母親は元々医者になりたくて、医学部を目指していたんだけど、結局中学の理科、物理の教師になった人でね。そんな背景があるから、トークの組み立て方が論理的だったんだよね。僕はその影響を大いに受けているんだと思う。でもさ、友達がいない、喋りが下手とか、それほど大した問題ではないんじゃない? 全員がトークが上手くなる必要ってないんじゃないかな。

──でも些細なことですけど実生活で例えるなら、女性と2人きりになった時、イケメンなら喋れなくてもどうにかなるわけですよ。でもブサイクは喋らなければどうにもならないじゃないですか。だからやっぱりトーク力は身につけたいですよね。

伊藤 なるほど、だからブサイクはお笑いに行くんだろうな。でもブサイクもキャラだからね。子供がゲームばかりやって家に籠もってるって嘆く親もいるけど、そんな子供でもゲームのレベルを高めていけば、やがて世界大会に出て賞金1億獲得することだって夢じゃない世の中でしょう。だからさ、ゲームでもスポーツでも何でも、ひとつのことを突き詰めていくことが大事なんじゃないの? なんでも中途半端な形で終わらせないで、ひとつのことを突き詰めていく。

──そうですね。伊藤さんの元に弟子志願みたいな人は来ないんですか。DJ希望とか。

伊藤 最近はいないねえ。昔はいっぱいいたよ。でもDJはなろうと思ってもなかなかなれるものではないからね。
1980年、モンスターズ・オブ・ロックに出演したビフ・...

1980年、モンスターズ・オブ・ロックに出演したビフ・バイフォード(SAXON)にインタビュー。

──まあ今はメディアがラジオだけじゃないですからね。ポッドキャストとかYouTubeとか色んなものがありますからね。

伊藤 僕もそういう時代だったらそっちの方へ行っていたかもね。昔、放送局で仕事したいって相談されたときに言っていたのは、表玄関から入れなくても裏口から入ればいいんじゃないかってこと。社員になるのはなかなか難しいけど、フリーのディレクターとかツテを辿って裏から行けばいいじゃないかってね。昔、青山レコーディングスクールっていう専門学校があったの知ってる? もう無いんだけど、そこで講義を受け持っていたことがあるんだよ。で、パルコで月に一回くらいビデオジョッキーをやっていたんだけど、そこに僕を慕って青山レコーディングスクールの生徒がよく遊びに来ていたの。そのうちのひとりが「伊藤さんの『ロックトゥデー』の収録見に行きたいんです」って言ってきてね。ツネっていう奴なんだけど、その後よく収録を見に遊びに来ていたんだよ。「僕もこういう仕事がしたいんです」って言うから、何でもいいから裏口入学でさ、ツテを辿ってやればいいってアドバイスしたの。芸能界に入りたいんだったら、誰かの付き人でもいいじゃないか。上手いこと探してやっていけばいいんだよってね。何と5年くらい前に、NHKで20数年ぶりにそのツネとバッタリ会ったんだよ。何やっているんだって訊いたら、「今、歌舞伎俳優のマネージャーしているんです」って。彼は元々、誰かのマネージャーをやっていたんだって。いくつかの事務所を経て今、大物歌舞伎役者のマネージャーやっているんだよ。そういう風に、僕からポジティブなエネルギーをもらって、芸能界で生きている人だっているんだよね。

──そんなことあるんですね。

伊藤 専門学校のジャーナリスト学科みたいな授業で教えていたんだけどさ、正直専門学校でそんなこと学んだって潰し効かないでしょ。エンジニアとかではないからね。僕が育ってきた時代のメディアっていうのは、まだ、TV、ラジオ、新聞とか保守的なメディアしかなかった。芸能でも何でも人間関係でしょう。例えばナベプロだったら六本木で遊んいでる若者をピックアップしたりとかやっていたわけでしょう。でも僕にはそういう人間関係はなかった。僕が『オールナイトニッポン』のADになったのも、先に入っていた和田誠さんから誘われて、2人でADをやっていた時期があったの。そこでまわりから「面白いね」って言われて喋るようになったわけでね。そういう人間関係がないとダメだよね。僕は『オールナイトニッポン』を9ヶ月間担当したけど、僕の次が稲川淳二だからね。彼は工業デザイナーだよ。ディレクターが飲み会で面白い奴がいるってところから始まったんだよね。そういう関係を作っていくこと、そして、その人の存在感が必要だよな。
1980年、モンスターズ・オブ・ロック出演したRIOT...

1980年、モンスターズ・オブ・ロック出演したRIOTにインタビュー。中央はガイ・スペランザ。

トーク力の前に人間力が必要

──トークと文章は繋がっていますけど、インタビューはまた違うんですか。

伊藤 インタビューはトークの部分だよね。僕はあまり質問を考えて現場にいかない。相手が英語で話したことは、大体80%から85%はわかるから、通訳の人にはアーティストが喋ったことを返してもらわないようにしているの。いちいち訳していると、相手の熱が冷めてしまうんだよね。集中力が途切れてしまうからそういうやり方をしているんだよね。一字一句質問を書いてきて質問する人もいるみたいだけど、僕はそれはしないよ。

──日本人にインタビューした回数は少ないですか。

伊藤 あまりないけどね。今度の『政則十番勝負』では一度も話したことのない人も出るからね。上坂すみれさん。亀渕昭信さんや吉田照美さんともちゃんとした形で対談はしたことないからね。だから、まず、第一声ですよ。そこで何を話すのかが重要になってくるね。そこの一発で決まるはず。それは文章と同じだよ。最初に何を書くのか。最近、『ロッキングオン』からKISSのジーン・シモンズにインタビューしてくれないかと言われたんだけど、時間がなくてね。「それでは巻頭のリード部分だけお願いします」って言われたので、キャッチコピーを“ロックンロール・オールナイトは終わらない”にしたんだよ。これが評判良かった。そういう一行で人の心を掴むのは得意なんだよね。

──僕もそうなりたいんですよ。

伊藤 アルカトラスの“泣くがいい”ってあるでしょ。

──伝説の帯タタキですね。

伊藤 あれって、ポリドールの担当だった松本さんに頼まれて考えたんだけどね。帯のコピーに「セーソクらしい強烈なのを書いてほしい!」って言われて書いたんだよ。未だに色んな人に言われるんだけど、元々はポリドールの松本さんに向けて書いた文章なんだよね(笑)。あと、『音楽専科』でレギュラーを確約された時も、編集の星子誠一さんから「リッチー・ブラックモアの凄いところを大仰に書いてくれないか」って依頼が来て、言われた通りに書いたら「素晴らしい」って絶賛されて、毎月原稿の依頼が来るようになった。もちろん、それまでにも星子さんや編集長の福島さんと飲みに行って「面白いねえ」なんて言われていたわけなんだけど。トーク力というのは現在に繋がる仕事の基礎になっていたんだろうね。

──トーク力の前に人間力が必要ですよね。

伊藤 そうだろうね。大貫憲章さんの家に行って遊んでいた時、お母さんによくご飯食べさせてもらっていたよ(笑)。あと、和田さんのお姉さんのジュンさんがロック喫茶時代について「マー坊は弟みたいだった」と回想していたらしい。人から可愛がられる才能はあったんだろうね。
1979年夏。大貫憲章さんとレコーディング。

1979年夏。大貫憲章さんとレコーディング。

──実に羨ましい才能であります。

伊藤 でもね、自分で人間力を高めようと思ってもどうすればいいのかわからない人が多いんだろうね。僕の場合は本を読む、レコードを聴くということによって人間力を高めていったのかな。それと小中学生の頃に弁論大会に出ていたりとか、僕は他の人とは環境が違っていたんだろうね。でも弁論大会に出ているからって真面目だったわけじゃないよ、いつもおちゃらけていたからね。そして母親が書道をやっていたからその影響で字が上手くなったとか。そんな環境があってこその僕の人間力だと思うよ。意識的に人間力を高めようと思ってもなかなか難しい。その前に、自分は何が得意なのかを気がつくことが重要なんだと思う。自分を見極めるということだね。例えばゲームが凄く上手いとか、髪が死ぬほど長いとか、女性だったら可愛いとか。容姿だって個性だからね。

──“己を知る”ということですね。

伊藤 そうだよ、好奇心を持って自分を見つめることをしないと。僕は小学校6年の頃、レーシングカーに興味を持ったけど、結局そんなものは続かないよね。その場のノリでやっていることだからすぐに飽きちゃう。僕は蟹座B型の典型だから熱しやすく冷めやすいんだけど、その代わり広く浅い知識は持っているよ。だから自分がどういう人間なのか見極める観察力が必要なんだよ。今の若者が、そういう部分にまで無気力だったとしたら、もの凄く残念なことだよ。まずは自分のキャラクターを見極めてほしいよ。
脚注

(※01)AMON DÜÜL Ⅱはドイツのサイケデリック・ロック・グループ。 1969年にファースト・アルバムを発表、1979年に解散。 90 年代に復活した。

(※02)The O'Jaysは、アメリカのオハイオ州で1958年に結成されたソウル・トリオ。“「裏切り者のテーマ”の他に“ラヴ・トレイン”などのヒット曲がある。

(※03)BISCAYAは1982年にスウェーデンで結成された5人組。1983年に唯一のアルバムをリリース。

(※04)JOSHUAは1982年、LAで結成されたメロディック・ハードロック・バンド。同年ミニアルバムをリリース、それが評判となり、2曲を追加して1984年に日本盤がリリース。"November Is Going Away"がラジオ日本『ロックトゥデー』でパワープレイ。

(※05)PROPHETはアメリカのメロディアス・ハードロック・バンド。1985年にアルバム『PROPHET』がリリースされた。

伊藤政則さんより大事なお知らせ!

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開催まであとわずか! チケットも残りわずか!!
『政則十番勝負』
PART 1

9/14(土) 「ジャーマン vs ブリティッシュ頂上決戦」
出演:和田誠(音楽評論家)

9/15(日) 「Battle Against LOVEBITES」
出演:LOVEBITES(ヘヴィ・メタル・バンド)

9/16(月・祝) 「メタル・ゴッド vs 声優」
出演:上坂すみれ(声優/歌手)

9/17(火) 「全英トップ20 vs ロック・トゥデイ」
出演:大貫憲章(音楽評論家/DJ) & 今泉圭姫子(ラジオDJ)

9/18(水) 「伊藤政則被害者の会」
出演:セーソク・チルドレン(音楽業界関係者)

PART 2
9/25(水) 「世界を翔けるロック」
出演:マーティ・フリードマン(ギタリスト)

9/26(木) 「伝説のオールナイトニッポン、そして、ラジオを語る」
出演:亀渕昭信(元オールナイトニッポン・パーソナリティ、元ニッポン放送社長)

9/27(金) 「Tokyoベストヒット vs 吉田照美のてるてるワイド」
出演:吉田照美(フリーアナウンサー)

9/28(土) 「PRIESTへの愛を語る」
出演:いのうえひでのり(劇団☆新感線 主宰/演出家)

9/29(日) 「夢劇場を語り尽くす」
出演:岸博幸(慶応大学教授/経済評論家)

【インフォメーション】
■来場特典:各日来場者に日毎に絵柄が異なるキトライライヘイ氏による、伊藤政則氏をモチーフにしたデザインの缶バッヂプレゼント

■トーク・イベント会場限定グッズを販売
※グッズの事前ご予約、お取り置きは出来ません。
※お一人様の購入制限はございません。
※数量限定の為、無くなり次第終了となります。

■グッズ、ビール、もしくは書籍購入者には、毎日限定人数で、会場にて終演後、サイン会または撮影会も開催
*撮影用のカメラはご持参していただきますようお願いします。

【料金】
■VIPチケット(5日間通しチケット/伊藤氏直筆サイン入りラミネートパス付):12,500円(座席指定・税込)
*PART 1の5日間、PART 2の5日間の2種類あります
*ラミネートパス交換は、9/14から各イベント開催時の開場30分前から会場受付にて行います

■一般チケット:前売2,500円(座席指定・税込) 当日3,000円(座席指定・税込)

*未就学児童入場不可

【お問い合わせ先】
タワーレコード渋谷店
〒150-0041 東京都渋谷区神南1-22-14
TEL:03-3496-3661
2019年9月14日発売!
BURRN! PRESENTS THE伊藤政則

丸ごと1冊、伊藤政則!
本誌特別編集による永久保存版!!
<巻頭特集:日英メタル・ゴッド対談>
伊藤政則×ロブ・ハルフォード
※『DOWNLOAD JAPAN 2019』での来日時に行なわれた、初対面から現在に至る思い出を語り尽くす最新インタビューをノーカットで掲載!

他、盛りだくさんの内容でお届けする一冊! 
BURRN! PRESENTS THE伊藤政則

BURRN! PRESENTS THE伊藤政則


2019年9月14日発売
A4/オールカラー/124ページ
本体価格1,200円
開催決定!
HEAVY METAL SOUNDHOUSE 2019 ーMAKE EPOCH!ー

2019年12月15日(日) 
会場:CLUB CITTA'
OPEN 16:00 / START 17:00 ◆オールスタンディング ◆前売り¥4,000(税込)
出演:伊藤政則
【GUEST DJ】和田 誠/miho (LOVEBITES)
【VERY SPECIAL GUEST】
THE MAN 『GOLDEN AGE OF...』
OUTRAGE 『N.W.O.B.H.M. 40th Anniversary Final』

お問合せ:CLUB CITTA’ 044-246-8888
http://clubcitta.co.jp/
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