カリスマ性というエスカレーターに脳ミソを預けるな――GEZANインタビュー

Interview
去る2020年01月29日に5枚目のフル・アルバム「狂(KLUE)」をリリースしたGEZANにインタビュー。
死んだまま生きないためのサウンド・トラックは、どのようにして生まれたのか。
去る2020年01月29日に5枚目のフル・アルバム「狂(KLUE)」をリリースしたGEZAN。件のアルバムは発売されるや否やたちまち話題にのぼり、各レコードショップでもプッシュの嵐が巻き起こった。GEZAN――特にヴォーカルでありスポークスマンでもあるマヒトゥ・ザ・ピーポー――は時のカリスマになった、と言っても差し支えないだろう。心酔する者も後を絶たない。だが、彼らのメッセージは浸るに心地良いものだろうか?あなたに冷水を浴びせはしなかっただろうか?バンドはアルバムへの受動的な没頭に警鐘を鳴らす。「心は高く売れた」。では、脳みそは?
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マヒトゥ・ザ・ピーポー「自分が家でゆっくりしてる間に外の景色がだいぶ変わってるけど、お前大丈夫?みたいな」

――まず最初に、今作を「狂(KLUE)」と名付けた理由を聞かせて下さい。
イーグル・タカ(以下E):
今の時代の混乱というか。まあずっとそうなんだと思うんですけど、そういう中に自分らがいると去年1年で、全感覚祭などを通してより感じるようになって。マヒトがそういうことよく話すんですけど。
マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下M):シンプルに「狂ってるな」と思うから「狂(KLUE)」ってつけた感じですね。
――それは日本全体がということですか?
M:
そうですね。
――政治とかだけではなくて?
M:
うん、何かこう色々なものがズレていってるという感じ。
――「東京」を扱ううえで、今作には道玄坂であったり甲州街道であったり具体的な地名が出てきます。それを肌感覚で想起できる人ってリスナー全体からしたら少ないと思っていて。でもそこであえて東京という一都市に焦点をあてたというのはなぜなのでしょうか?
M:
単純に自分達がね、今生活しているというところがあって。そこにオリンピックなども含めて大きなテーマみたいなものが自分の見ている景色の中に飛び込んできている。それで反応せざるを得ないのはあるかな。どう?
E:俺は、住んでるからかな。遊びに行く時とかもいつも通るし。だからすごいリアリティありますよ。
――『全感覚祭』の日に渋谷にいたんですけど、本当にクラブから駅までの道に人があふれていて、それが印象的でした。
M:
渋谷というのは、そんなに意識はしていなかったけど、『全感覚祭』が偶然渋谷で開催されたということも含めて結構鍵となる場所になっているのかもしれない。ちょっとした「移民の街」というか。自分達は誰も渋谷出身の人もいないし、東京出身の人もいないんだけど、渋谷PARCOのイベントに出演してそういうものを感じましたね、自分は。
――‟Free Refugees”にもそういった移民的な要素がありますが。
M:
そうですね、「日本っていうのはこういう国で、こういうルールで」という今までずっとやってきたようなカテゴリーがもう適用出来ないぐらい今は色々なものが混ざり合っているし、そういう勢いがあるのを、まだ力で抑えつけようとしているという状態だと思うんですけど。そういう差別とかが当たり前に日常的に刷り込まれている中で、色んな人を受け入れるオリンピックが近づいてきているのは日本の壊れた面の象徴的な出来事だな、とも思っていて。
――‟東京”という曲でもそうしたファシズムやレイシズムに対する反発が歌われていますよね。普段からそうした発言はされていると思うんですけど、そうした発信を通してリスナーに要求するものはなんでしょうか?
M:
本当は「○○主義」とかそういう言葉を使わないようにしようってずっと心掛けてはいて。まあ簡単に言えば政治のことを歌わないとか、差別のことを歌わないとか。でも普段の生活の景色のレベルで自分の友達が被害を受けたりもしてくるという現状で。普通に朝起きたら顔を洗って、仕事に行って、そういう普通の生活の話だと思っていて。だからそれを聴いている人にどういうものを要求するかというと…単純にそのことについて考えよう、っていう話ですよね。あとは警告みたいなところも‟東京”という曲の中にはあるかな。自分が家でゆっくりしてる間に外の景色がだいぶ変わってるけど、お前大丈夫?みたいな。

GEZAN / 東京 (Official MUSIC Video)

マヒトゥ・ザ・ピーポー「俺の言葉も最終的に『信用すんなよ』とも思っている」

――問題提起といいますか。
M:
うん。やるべきことというか、色々な役割が音楽にはあって、何かこう大きな運動みたいなものに音楽を使って動かしていくっていう人もいる。でも自分に関しては主語を自分の好きな友達に置き換えたりだとか、すごく個人的な体験にするんです。今外で起きている問題とか社会の問題とされているようなことを個人的なものにすり替えることは結構やりたいことなのかもしれないですね。
――聴いている人の中でそれがどんどん身近なものになる。
M:
そうです。
――「革命」という言葉も曲中に出てきたと思うんですが、そういった大きなことは考えられていないんですか?
M:
そんなに自覚的ではないですね。だから「GEZANを殺せ」というフレーズもそうだけど、俺の言葉も最終的に「信用すんなよ」とも思っているし。カリスマ扱いみたいなものに対する警告でもある。大きなものを動かしていこうという動機において本当は「俺のことを疑え」なんて邪魔なフレーズだから。一人の根本の内側に向かって、というところが結果何かを動かしているということはあり得ると思うけど、あくまでその単位は最小で、「あなたたち」や「みんな」ではなく「個」だったり「あなた」とかにして。
――その「GEZANを殺せ」(‟赤曜日”)や、「恥ずかしいこの歌がいつか歌えなくなるような僕らになったら お願いだよ殺して」(‟I”)というフレーズはすごく強烈で。GEZANが死ぬ時というのはういう時なんでしょうか?
E:
人の中で色々あると思うんですけど。
――個人の中でのGEZANの死ということですか?
E:
それもあると思いますよ。
M:「殺して」には色々な使い方があって。命の終わりもそうだけど、バンドとしての終わりとか。「俺たちはこういうバンドです」と決め込んで変化していくことをやめてしまうのが死になっているバンドもあるし。GEZANに関してはまだ変わっていくことを全然恐れないし、間違えることも…警戒はするけど何か挑戦するって失敗も含まれるから。一つのバンドの、GEZANの死となると、それが何か違う目的のために回収された時だろうね。
E:それはそうだね。
M:ポップなものを目指すというのは俺は別に死とは思わなくて。後ろめたいことを選んでいるのをヘラヘラ誤魔化してやっていたらもう死んでるんじゃないかな。そういう日が来るのかはちょっとわからないけどね。需要に対してちゃんと供給で答えるっていう、街のチェーンの牛丼屋みたいな音楽ってたくさんあって。映画の宣伝でも「劇場の9割が泣いた!」とか、もう泣くためのウィダー・イン・ゼリーみたいな。手っ取り早く欲しいものに対してそれをちゃんと提供するって資本主義の流れだけで見ると効率のいい、仕事の出来る音楽家だと思うんだけど、全く響かなくて。はっきり言ってすごく軽蔑もしているし。あれはまあ死だね、俺にとっては。(笑) 
――それは例えば「プレイリストからレベル・ミュージック以外を消去せよ」という歌詞にも繋がりますか?
M:
そこにもかかってきているかもしれない。外は激しく撃ち合いをしているけど、とりあえず部屋を暖かくして、カーテンを閉め切ればなんとなくユートピアじゃん、と言って自分たちが心地良く居れる空間を作るっていう。まあ逃避的な面というのは音楽にもあるんだけど、そこの気持ち悪さみたいなものも限界まで来ている気がしていて。音楽を切実に逃避に使うというのは一個の役割だと思うけど、一緒に感度を鈍らせて「幸せだよね~」って、何かすごく宗教的な危うさを感じるというか、危険だなあと思うから。どんなジャンルであれちょっとこう血の匂いがしないと嘘くさいなあと今は思っています。
――それはシティ・ポップの与える幻想のようなものにもかかってくると思うんですけど。いわゆる「チル」的な音楽というのは今後シーンからなくなっていくと思いますか?
E:
大事なことですけどね、チル。
M:そうだね。さっき言ったように切実な意味でのチルというか、戦っている状態で生きているんだから音楽ぐらいは、という意味でチルな空間も必要は必要だと思っていて。ただ、そのことだけではどうこう出来なくて、日常生活にみんなやっぱり帰っていかなきゃいけない。その時点でチルしているだけではどうにも出来ない長期戦の戦いからは逃げられないんだなってことには結構日本の人は気付いてきている気がしていて。
E:うん。同じですね。

「GEZAN / 赤曜日(Official Music Video)」

イーグル・タカ「音楽って色んな人と出会って知らない世界を見せてくれるじゃないですか。積み重なるというか、先に行くし、戻るし」

――さっき「チル」は大事って仰っていましたけど。
E:
もうため息つくしか出来ない、受け入れるしかない時ってあると思うんですけど、そういうのは大事だという意味で。
M:ただこれからはもっとその向こう側が重要な気がしていて。幻想の中だけを生きていくことは出来ないんです、だって外は雨が降っているから。どれだけ南国をイメージしていい気持になっても一歩外に出たら雨に打たれるって、それはもう現実として明らかにある。
――では結構現実主義なんですね?
M:
そうなんだと思います。でもファンタジーの大切さに救われてきた面もあるし。今回のアルバムに関しても、さっき言ったように、結局同じ場所に帰ってくるループという概念がある。ファンタジーだけでは生きられないけど、勿論現実だけで生きていくことも出来ないんです。だからみんな「表現」を、映画でも音楽でも本でも、そういうものを欲しがるんだと思うし、自分も欲しているし。
――ループというと、今回ギターがひとつのフレーズを繰り返し弾いて、という場面が結構多いと思ったんですが。そういったサウンドはどうやって組み立てていかれましたか?
E:
みんなで演奏する中でそうなっていったという感じですね。
――みなさんでジャミングして出来ていく?
E:
うん。最初にもうバッて思いつくこともあるし、色々ですけどね。変化していきます、プレイは。
――かなり変化していますよね。前作「SILENCE WILL SPEAK」ではすごく音が歪んでましたけど、今作はかなりクリーンになっていて。
E:
ああ。ギター変わったからかな?歪み大好きですけどね。(笑)
――歪みと言えばなんですが、スクリーム的な唱法はずっと取り入れられているじゃないですか。3rdアルバム「NEVER END ROLL」は柔和な感じの1枚だったと思うんですけど、次作の‟忘炎”にはブラスト・ビートが入ったり、今作は‟赤曜日”の終盤ツービートになりますよね。そういったエクストリーム・ミュージックとのある種の接点はどこで保たれているんでしょうか?
M:
一人の人をとってみても「あの人は優しい人だ」とか、そうやって個人をカテゴリーで捉えるっていうことはよくするけど、静かに見える人でもものすごく熱いものを持っていたりとか、すごく良い人だけど焦っている時は嫌な人に見えるとか。
E:(笑)
M:曲もそそれぐらい本当はもっと混乱しているなと思って。需要に対して供給で応える時にはそういうノイズ的なものは基本的には要らないもので。でも自分たちはそういうものに応えるための音楽ではない。そういう風なエクストリームなものとすごく静かなものが並列であったりするし。それはさっき言ったような、個人に対する見方みたいなところから始まっていて。だからもっと曖昧なものにリアリティを感じてるというのかな。
――ちょっとかき乱すための、じゃないですけど。
M:
かき乱されている方がしっくりくるという。
E:うん。
――単純にメタルが好き、ではない?
E:
単純に好きですよ。
――そうなんですね。(笑) 影響を受けたアーティストはいますか?
E:
SEPULTURAとか好きですよ。
――なるほど。SEPULTURAもそうですが、今作にはすごくトライバルな要素がありますよね。
E:
うん、たまたま。でもそれは一昨年アメリカに行くちょっと前ぐらいから「自分は日本人なんやなあ」というのを考えるようになっていて、それが丁度アジアの音楽とかをたくさん聴いていた時期だったんですよ。民俗音楽とかが好きで。
――ではヨーロッパ的な音楽性はあまり?
E:
そうかもしれない。様式的なやつってそんなに好きじゃないかもしれないですね。TOOLとかはめっちゃ好き。MASTODONとか、全部が好きなわけじゃないけど好きですね。何かこう、音楽って色んな人と出会って知らない世界を見せてくれるじゃないですか。それの一個一個が今ある。積み重なるというか、先に行くし、戻るし。それが面白いですね。
――特にジャンルで見ているわけではないんですね。
E:
うん、そうですね。結局はその時やっている音楽で変わるし。(ジャンルは)後々こう、誰かが判りやすく付けただけだと思うので。

GEZAN-忘炎- live at 924GILMAN St, CA(2018.4/6)②

マヒトゥ・ザ・ピーポー「自分自身でいるということを手放さない、そのためのレベル・ミュージックという感じがあるかな」

――トライバル・チャントの話に戻りますが、ああいったアプローチの着想はどこから得られたんですか?
E:
声を使ってもっとやろうというのは、‟NO GOD”の時点でも少しありましたね。みんなの声そのものをもう少し大事にしていこうというのは今回作るにあたってより強くなっていって。
――‟東京”にもチャントやケチャ的な音が入っていますが、東京の街の拓けたイメージと部族的なイメージは一見離れているように思えます。シティ的な音作りではなくてトライバルな表現を導入しているのが不思議で。
M:
‟東京”のMVはモンゴルで撮られているんですよ。その時点でそういう要素はあるよね。(笑) 自分がトライバルなものに感じるのが東京の本当に色々なカルチャーが混在しているとことで。良いものも悪いものも含めてごった煮みたいな状態になっていると考えると、そういう乱雑なイメージみたいなものが東京にもあると思う。本当の東京ってもっともっと曖昧というか。
E:確かにそう。
M:何か大きなものが象徴している東京よりも、もっと色んなものが入り乱れている、それがすごくキーワード的な「トライバル」ということに繋がっていくかな。ケチャとかそういったものも。だから渋谷の『全感覚祭』で混乱して、駅からの道に人があふれて…というのもすごくあてはまっていて。ある種「パンク・キッズ」とか「クラブ好き」とかそういうシンプルな集団ではなかったと思うし。そういうグチャグチャな感じが一番自分はしっくりきていて。
――今回レベル・ミュージックというのがすごく大きなテーマだと思うんですけど、GEZANにとってのレベル・ミュージックとはなんでしょう?
M:
ずっと言い続けているのは内面的な部分へのレベル・ミュージックだと思っていて、今ある環境・景色に対してその人自身が考えるっていうか、考えざるを得ない自分の身体を作っていくというか。半自動思考モードみたいなものに入って、エスカレーターに脳ミソを乗せちゃうみたいな、そういうことをすると楽は楽なんだけど。
E:受動的な感じ。
M:うん。強いメッセージを発してくれる人の人の言っていることをなんとなく自分の言葉みたいに発信していれば「自分もすごくリベラルです」みたいなフリは出来る。その感じすら否定というか、疑問を持っている部分があって。自分自身でいるということを手放さない、そのためのレベル・ミュージックという感じがあるかな。自分をコントロールしている不要なものの存在を感じて、断ち切っていくためのサウンド・トラック。
――GEZANはこれまでに何度か歌の中でインターネットに言及しているんですが、どれも批判的というか懐疑的なもので。この記事はまさにそのインターネットに載るんです。なのでこの記事をネットで読んでいて、これから「狂(KLUE)」を聴く人に対して最後にメッセージをいただけますか?
M:
インターネットに対しては懐疑的だけど、もちろん自分も切り離せなくて。ただやはりそれは本当にその人の身体のものになっていくための過程でしかないと思っていて。何か言葉が響くとか、音を感じて何かを思うだとかの状態へのヘルプみたいなものにはなっている部分はあるけど、そこはゴールではないとは思うかな。あくまでそこがスタートだと思うし。だから「これで満足するなよ」という気持かな。これは過程でしかない。
――アルバムがですか?
M:
うーん、まずこのインタビューを読んでいることも過程でしかないし、アルバムを聴くところもまだ過程だと思うし。その上でこう、自分が扉を開けた後の世界の話だと思う。もっと言えば、自分がツイート・ボタンで誰かを傷つけることに参加したり。そこの想像力が欠如するからやはり今みたいな病んだ状態になるんだなと思う。過程でしかないって言ったのはもしかしたらそこまでいってやっと始まりになるのかもしれないし。このアルバムの一つの側面である「レベル」っていうのは、もしかしたらツイート・ボタンを押すところまでいって初めて何かへの「レベル」になって、このアルバムのインタビューが意味を持つのかもしれない。その場所はいっぱいあるはずで、Twitterっていうのは近くにあるから言っただけ。「インターネットに懐疑的」っていうのは結構勘がいいと思うな。それは最近の自分たちのテーマでもあるから。
――イーグルさんはいかがですか?
E:
ネットを使っていてこの記事を読んでいる人に対しては、またどこかで会いましょうって感じですね。
――リアルで?
E:
会うところってどこなのか判らないですけどね。音楽を聴いて「わっ」と思うとか。それはもう一つの邂逅というか、会うところやと思うし。
――どこかで会いましょうという。
E:
「また会いましょう」という感じですね。
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GEZAN
「狂(KLUE)」

十三月
JSGM-34