令和のメタル・シーンに翼広げるギター・ヒーローとなるか THE GENIUS ORCHESTRATION伊豫田 浩平<g>インタビュー

Interview
11月6日にミニ・アルバム「SPREAD YOUR WINGS」をリリース、令和のメタル・シーン注目の存在として浮上してきたTHE GENIUS ORCHESTRATION。そのギタリストである伊豫田 浩平のインタビュー。

11月6日にミニ・アルバム「SPREAD YOUR WINGS」でデビューとなったTHE GENIUS ORCHESTRATION。プロデューサーにJUPITER等で活躍しているHIZAKIを迎えていることからも彼らへの期待の高さがうかがえる。
今回は新時代のギター・ヒーローとして注目されつつあるに伊豫田 浩平に自らのルーツ、バンドや作品のことなど色々と訊いてみた。

カッコいいよと教えてくれたのがマイケル・シェンカー、ポール・ギルバート、イングウェイ・マルムスティーンでした

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--簡単に自己紹介をお願いします。

伊豫田浩平(以下、伊豫田):THE GENIUS ORCHESTRATIONでギターを弾いている伊豫田浩平です。21歳という若さを武器にやっていこうと思ってます。(笑)

--音楽的なルーツは?

伊豫田:僕の父親がこういったヘヴィ・メタルが好きで、趣味程度でしたがギターを弾いていたんですよ。小さい頃からギターが近くにある環境で、僕の姉はピアノを弾いていました。僕は小学2年生からピアノを習い始めたのですが、小学5~6年生頃に飽きて辞めてしまって。その後、中学に上がる前に父親からギターを弾いてみたらと言われたのがギタリストになる切っ掛けですね。

父親的には僕が小さい頃からギターを教えたかったらしくて。僕は全く覚えていないのですが小さい頃からギターを触っていたのを父親は見てたと言ってました。ピアノを辞めてギターを少し弾いてみたら「あれ、面白いな」って感じて、父親からギターのコードやカッコいいギタリストを教えてもらって。その時にカッコいいよと教えてくれたのがマイケル・シェンカー、ポール・ギルバート、イングウェイ・マルムスティーンでした。僕は中学1年生の時にその3人が世界最強のギタリストだと思って、それは今も変わりません。インターネットとかで彼らがプレイしている映像を見たり調べたりしたら速弾きが凄くてもっと衝撃を受けて、こんなギタリストになりたいと思うようになっていきました。父親の部屋にあった「YOUNG GUITAR」誌を読み漁って、イングウェイ特集とかは絶対でした。そういう雑誌を読んでCDを借りて過ごしました。父親はWHITESNAKEが好きみたいでしたけど。

WHITESNAKEのベストとか、イングウェイの「RISING FORCE」を父親から最初に借りたと思います。曲で父親に教えてもらった中で覚えているのがMr.BIGの“To Be With You”で、メタルでもこんな(バラード調の)曲があるんだよって。イングウェイの“Far Beyond The Sun”を聴いた時はカッコよくてカバーしてみたいと直ぐに練習して弾いたりといったこともありました。

--自分で最初に買ったヘヴィ・メタル系のアルバムとか覚えていますか?

伊豫田:中学1年になると自分で「YOUNG GUITAR」誌を買っていて、その時にマーティ・フリードマンが表紙の号があったんですよ。その時に彼がCDインストのアルバムを出していて、白黒の彼の顔がジャケットの「BAD D.N.A.」ってタイトルの作品でした。その前にも買っていたものはありましたが、メタルとなるとこれが最初になるかと。楽譜とか探してもなかったので、耳コピして分からなければ父親にも教えて貰って一生懸命このアルバムをコピーしていました。
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伊豫田 浩平<g>

--バンド結成したのはTHE GENIUS ORCHESTRATIONの前身になるGENIUSが最初ですか?

伊豫田:友達とコピー・バンドをやっていましたが、僕の友達で往年のメタルを聴いている人がいなかったので、流行っていた曲、例えばcoldrainとかをコピーしていました。僕もメタルだけじゃなくて、そういったバンドも好きでしたし。その後にオリジナルをプレイするバンドを始めて。曲も皆で作ってで、それが高校2年生の頃です。GENIUSは2バンド目になって、東京に来てから結成しました。

--それは東京で一旗揚げようと思ってですか?それとも自然の流れで?

伊豫田:それもめぐり合わせがあってなんですよ。僕は愛知県出身なのですが、高校を卒業したら名古屋のMI JAPAN(注1)に行こうと思っていました。その名古屋校の校長先生に相談とかしていたのですが、高校卒業と同時に名古屋校の全日コースがなくなってしまうと。それでどうしようとなって、東京、大阪、福岡なら全日コースが残っているよと教えてくれて。名古屋の他の音楽学校も色々と調べたのですがどうもしっくりこなくて、だったらMI JAPANの東京校に行こうと決めました。両親に相談して、二人とも音楽をやることに理解があったので背中を押してくれたのは嬉しかったです。

計画していたことがあって、まず1年目は学校でアンサンブルや音楽理論をみっちりと勉強して自分の今後の蓄えにしようと。2年目になったら曲を書いてバンドを始めようと考えていました。2年目にタイミングよく学校のカリキュラムで「オリジナルの楽曲を書いてメンバーを集めてバンドを組む」というのもがあって、学校でその成果を披露して先生にアドバイスを貰うというものでした。参加自由で強制ではなかったのですが、僕はこれはと思って今も一緒にやっているボーカリストの可嵩に声をかけました。彼とは学年が違って、一つ彼が上でしたが、それが切っ掛けでバンドを始めました。その時は外でやるだけの実力はないし、校内で腕を磨いていこうと学校外では活動しませんでした。先生もかなり辛口で校内でやっていてもあれこれとダメ出しばかりだったのでバンドを煮詰めていって。

学校を卒業する2か月前に学校の外でライブをやる機会が出来て、そこで初めて(ライブを)やりました。最初は学校のプログラムでしたが、学校の中で終わらせようとは思っていなかったし、自分が生涯をかけてやるバンドを東京で組みたいと思っていたからその切っ掛けになったと思います。音楽の専門学校でしたが、往年のハード・ロックやヘヴィ・メタルが好きで歌えるって人が少なくて、その中で可嵩に出会えたのは嬉しかったです。

注1:学校法人ESPが運営するミュージシャンを育成する専門学校。

--そこでメタル・バンド以外を組む気はなかったですか?

伊豫田:(スッパリと)なかったですね。でも、学校で組んだ時もベーシストとドラマーは「メロディック・スピード・メタルはちょっと…」という感じでやりたくなかったみたいでしたし。リズム隊としてはそういったジャンルだとシンドイと。ドラムならツイン・ペダル全開で叩かないといけない、ベースなら16符ばっかりで。最初は今流行っていそうな重めの曲とか、モダンなメタル風な曲も書いていました。でも、自分が作っていくと自然とルーツに戻っていって、そういった曲から離れていってしまうんですよ。作曲作業のスピードも違って、すんなりと出てくるのがメロディック・スピード・メタル調の曲で。他のメンバーに色々なタイプの曲を作って聴かせても、やっぱりメロディック・スピード・メタル調の曲が一番良いとも言ってました。

最初はバンドをやっていくということで路線にほんの少し迷いもありましたが、そういったこともあってビシっと方向性も決めました。その学校内ではベーシストとドラマーは正式メンバーでしたが、校外で活動を始めた時は可嵩と二人で始めた形です。校外で活動となると自然と時間もお金もかかってくることになるし、そこでどうだとなった時にリズム隊の二人は「ちょっと…」となって。モチベーションが低い人を無理やり一緒にやってもお互い悪い結果になると思ったので、やる気のあった可嵩と一緒にバンドを続けていこうと決めました。昔と違ってメンバーがいないから活動出来ないこともないと思っていたし。楽曲があって一緒にやってくれるメンバーが他に一人でもいてくれたら、僕はやっていけると考えてもいたので。ライブだったらその時に参加してくれるベーシストなりドラマーに頼めば成立するので。校外での活動を始めた時から今までそんな感じでバンドは続いています。
阿部 可嵩&lt;vo&gt;

阿部 可嵩<vo>

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