『メタル第7世代~ザ・ワールド・イズ・マイン』 04“暗中浪漫”

メタル第7世代~ザ・ワールド・イズ・マイン
音楽雑誌『BURRN!』の今年度新卒新人編集者によるコラム、第四回。
今や膨大なバンドが跋扈するブルータル・デス・メタルのシーンで、最古参ながらいまだリスペクトを集め続けるモンスターバンド、Suffocation。
先日実に14年振りの来日を果たし国内のファンを歓喜させたが、惜しむらくはそれがオリジナル・ヴオーカリストであるフランク・マレンのリタイア・ツアーだったということ。
たった1日の東京公演を目に焼き付けるべく、去る6月12日、渋谷はduo Music Exchangeへ足を運んだ。

先陣を切って会場を温めたのはTHE FACELESS、AVERSIONS CROWN、EVISCERATE THE CROWNといったネームバリュー豊かなサポート・アクト。彼らは音楽性としてはテクニカル・デス/デスコアに属していて、SUFFOCATIONとは異なりニュースクールのバンド群なのだが、大半の観客はフロアで耳を傾けていた。と言うのも、この日の客の4割ほどは20代くらいの若者で占められていたのだ。同年代の自分が言うのも変な話だが、これは少し意外な光景であった。

SUFFOCATION - "Surgery of Impalement" (Official Music Video)

The Faceless - Deconsecrate (Official Music Video)


リスナーの姿は普段明るみに出ることはないが、バンドマンであれば少なからず目に入ってくるものだ。今の若者がやっているヘヴィ・ミュージック系統のバンドは、圧倒的に正統派が少ない。同年代だけでバンド・メンバーを揃えるのは困難であるという嘆きの声を聞いたことがある。メタルコア・デスコア系バンドが多いのは今のトレンド上当たり前と言えるだろうが、不思議なことにオールドスクール・デス・メタルを志す若者が一定数いるのである。

どんなに有名なデス・メタル・バンドも、スタジアムを埋めるのは難しいように思われる。一方で、KISSやAEROSMITH、IRON MAIDENやMETALLICAといった80年代に名を馳せたバンドは今やスタジアム・ツアーが基本だ。
デス・メタルが生まれた90年代はメタル自体が下火だったとはいえ、仮に80年代に登場していたとしても彼らはNWOBHMやスラッシュ・メタル勢ほどのポピュラリティを獲得していただろうか?私は否だと思う。なぜならデス・メタルのアティテュードや歌詞世界にはアンチ・マジョリティーの成分が多分に含まれているからである。学校や社会での生活に息苦しさを感じる人間を引き寄せる誘蛾灯のようなもの。
グランジだって当初は反商業、反大衆音楽として勃興したジャンルだ。ということは、90年代は反多勢のアトモスフィアが発しやすい状況にあったのだ。個人的の抱える悩みではなく、社会規模の何かが。
80年代アメリカの経済は混乱期を迎え、83年の失業率は10%に迫った。だがメタルシーンは反比例的に繁栄の一途を辿っていた。それゆえにか、「80年代アメリカは暗い」というイメージはあまりない。しかし90年代に入って景気が持ち直すとグランジやデス・メタルが登場するのだ。この時のマジョリティーに該当するのは好景気を受けて日々を謳歌する人々だろう。

同じころ日本経済ではバブルの80年代と、崩壊後の90年代という図式が展開された。アメリカと反対の情勢なのだ。バブル崩壊後に不動産の価値などが暴落してゆく中で売れに売れたものといえばCDだ。バンドブームにより『イカ天』を火付け役に数多くのインディーズ・バンドが世に放たれ、小室ファミリーやビーイング系アーティストが一世を風靡した。これらのアーティストはみな、商品として見られていた――バンドに対するマーケットからの扱いについては大槻ケンヂの著書『リンダリンダラバーソール ―いかす!バンドブーム天国』に詳しい。
96年生まれの私には知る由もないが、この頃の日本国内の音楽界でのマイノリティもやはり反商業、ミリオンヒットなぞクソ喰らえというアティテュードの者だったのではないだろうか。

そして2019年現在。
SNSで常に人とコミュニケーションを取り、自身の生活をつまびらかに晒そうとする同級生。オリンピック・イヤーを目前に浮かれる人々。不適切・不謹慎を刈り取ろうと群がる“良識者”たち。日に日に電灯の間隔が狭まる街。
東京は煌々と照らされているようでいて、その実世間の波に逆らうマイノリティの足元は常に暗く、覚束ない。
LGBTを認めよう。発達障害に理解を。引きこもりに救いの手を。マイノリティを減らそう。
でも、明るいところで目を開けていられない人間だっている。
頼むからその手に掲げた灯りを下げてくれ。

景気の行く先は明るいとは言い難いし、多勢の高齢者に対して若者はどこか圧迫されているような息苦しさを常々感じている。


アンチ・マジョリティのメンタリティーが、一部の若者の間に再び満ちているのではないか。そして、それに応じてくれる音楽の一つがデス・メタルなのではないか。

赫々たる斜陽のなかで、影はその長さを増してゆく。社会が明るくなればなるほど、マイノリティもその輪郭を濃くする。デス・メタル・シーンの再興は今、拓かれゆく社会とともにあるのかもしれない。

COFFINS @ Asakusa Deathfest 2018 "Pre-Fest" (Tokyo)

INTESTINE BAALISM @ Asakusa Deathfest 2018 (Tokyo)