ナレーションはメタラーにまかせろ Vol.5 「Paint It Black~サンプラザの、あしたはどっちだ!!~」

ナレーションはメタラーにまかせろ
東京ベイNKホール(2005年閉館)、東京厚生年金会館(2010年閉館)、旧日本青年館(2015年閉館)、渋谷公会堂(2015年閉館)、旧簡易保険ホール/五反田ゆうぽうと(2015年閉館)。伝説ライヴが繰り広げられたコンサートホールが次々と閉館。そして中野サンプラザにも解体報道が?!我々の思い出のコンサートホールは、NHKホールと川口リリアメインホールだけになってしまうのか!? 中野サンプラザ存続を切望するTVナレーターが綴る”中野見聞録”。いつだってサンプラザは、ロックT色に染まっていた。「Paint It Black~サンプラザの、あしたはどっちだ!!~」
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1973年の老いるショック

AC/DC - Let There Be Rock (Official Video)

東京都中野区のシンボルにして、伝説のコンサート、ライヴが繰り広げられた「中野サンプラザ」が、2019年6月1日で46年目を迎えられた。老朽化に伴う”解体”のニュースが流れたが、「キオク、カタチ、ナマエの3つのDNA」という引き継ぎ方針に基づき、三角形のあのフォルムを継承しつつ、2024年前後に”建て替え”されることになったようだ。
1973年竣工の中野サンプラザとは奇しくも同い年の自分からすれば、同じく同い年のイチロー選手の、"明日もトレーニングはしてますよ"の晴れやかな姿、ブレーキ知らずを感じさせる引退会見がまだ記憶に新しいだけに、”解体”から”改修”ではなく”建て替え”への流れは、非常に感慨深いものがある。

因みに1973年結成のAC/DC、1979年3月に中野サンプラザで初来日公演を予定していたのだが、まさかのチケットセールス不振とプロモーターの経営難により来日が中止・・・。翌年1980年2月にボン・スコット急逝。残念ながらボン・スコット在籍期のAC/DCは来日していないのだ。1980年前後に「世界で最もコンサートで死者を出しているバンド」としてギネスに認定されたAC/DC。この記録が、チケットセールスに少なからず影響を与えたと思いたいが、この頃のAC/DCは、日本では駆け出し中だったんだという事が伺える。

Scorpions - Midnight Blues Jam (Unreleased Demo Track)

さて、Uli Roth在籍期最後のScorpions傑作ライヴアルバム『蠍団爆発!! スコーピオンズ・ライヴ』は、1978年に中野サンプラザで開催された、Scorpions初来日のライヴテイクを収録した作品であり、ルドルフ・シェンカーが”イナバウアー”しちゃった中野サンプラザは、世界中のScorpionsファンの”聖地”と呼ぶべき場所ではないだろうか。特にUli Rothのジミヘンフレーズ全開の名曲"Polar Nights(暗黒の極限)"は、極限を逸脱し過ぎたあの発禁ジャケ『Virgin Killer』収録版よりも、中野サンプラザで披露された『Tokyo Tapes』ヴァージョンのほうが好きである。建て替えとは言え、"荒城"のような姿で一旦解体されてしまう中野サンプラザ。是非ともその前にScorpionsのサンプラザ公演"Tokyo Tapes完全再現"を実現して欲しいものだ。

ああっファンさまっ

MAMORE!!!/アイドリング!!!

さて、職業:ナレーターの身としての「中野サンプラザ」を綴るならば、惜しくも2015年に解散してしまったアイドルグループ「アイドリング!!!」の番組に長年携わらせていただいたご縁で、彼女たちのライヴ・通称“ナンバリングライヴ”にて、会場&ステージナレーションを担当させていただいていたことを、アイドリング!!!ファン、通称“ファンさま”ならご存知であってほしい。
数ある彼女たちのライヴの中で、中野サンプラザで開催された『アイドリング!!! 9thライブ ボンノウの数だけ愛がある!お正月eveング!!!』は思い出深い仕事だ。
2010年12月31日大晦日に昼夜公演、そして2011年元旦へ向けた深夜のカウントダウンライヴの怒濤の3公演にて、会場ナレーターとして、中野サンプラザのバックステージに待機し、ライヴの一翼を担わせていただいていた。ナレーターとはこのような仕事もあったりするのだ。数々のアーティストたちが行き来しただろうそのバックステージに興奮しながらも、空いた時間には時おり、当時開店したばかりの「ディスクユニオン 中野店」に品定めしていたのが懐かしい。そんな長時間の待機のなかで、ライヴの合間に中野サンプラザ界隈を、迷いもせずに練り歩けるほど、中野という街は自分にとって既に馴染み深い場所だった。

めくれたオレンジ

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まずメタラーにとって中野といえば、中野ブロードウェイにあった、中古CD&DVD販売店「レコミンツ」ではないだろうか。かつて『BURRN!』に雑誌広告を出稿されていた程の名店であったが、残念ながら2016年4月に25年の歴史に幕を閉じてしまった。橙色の看板は“オレンジ色のニクいやつ”。ワゴンセールから貴重な廃盤まで、何枚購入したことか。確かSTRYPER『Hell With The Devil』の廃盤を10000円で購入し、廃盤『悪魔のいけにえ』DVDは15000円で購入。マニア&コレクターの財布を緩ませる罪深きショップだった。引きこもっていては巡り会えない、足を運ぶことにより発見があった"おもちゃ箱"のような中野ブロードウェイでも、スマホ片手のショッピング&ダウンロードには勝てないということなのか。

空を見ろ、星を見ろ、茗荷谷を見ろ

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無くなってしまったお店といえば、牛丼チェーン「牛丼太郎」が、中野サンプラザ近くにあった。奥行きある店内になが~いカウンターテーブル。朝まで飲んでしまった帰りに、ちょっぴり薄暗いその店内へとよく訪れたもんだ。因みに、消滅したかに思えた「牛丼太郎」チェーンだが、東京都文京区の丸ノ内線「茗荷谷駅」近くに、「丼太郎」という店名で、この一店舗のみ、実は生き延びている。“牛丼太郎くん”が、丼にしっかりと描かれているので、あの味が懐かしいと思う方は、東京ドームのライヴ前にでも訪れてみてはいかがだろうか。その懐かしい味を食した瞬間、高倉健さんの「タロッ!!」という叫びとともにVANGELIS“南極物語”が頭を駆け巡るか? いや、マッチョなガッツポーズが似合う、グレン・ダンジグの叫びが過るに違いない。

マツケンサンバよ、静かに流れよ

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「ルパン三世 TV第2シリーズ」最終話「さらば愛しきルパン」(1980年)では、当時の中野駅周辺が細かく描かれでおり、戦車の砲弾が飛び交うまさかの物語の舞台となっている。そんな中野駅の面影は今は薄れ、ここ数年で中野駅周辺は新しく生まれ変わっている。
ご存知かもしれないが、この中野サンプラザが建つ中野駅周辺は、江戸時代、五代将軍・徳川綱吉公の悪政「生類憐れみの令」による、“お犬さま”が大量に集められた「囲い(かこい)」と呼ばれた場所である。月に吠えるコロラドブルドッグはいなかったかもしれないが、ブラックドッグなどの野犬が、16万坪という広大な敷地に大事に大事にされていた。疑問と不満が渦巻くこの「囲い」で働かされていた奉行たちは、幕府の無茶ぶりに屈せず、AC/DC"Dog Eat Dog(食うか食われるか)”のような瀬戸際に立たされていたのだ。
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徳川綱吉没後、「生類憐れみの令」は即刻廃止。八代将軍・徳川吉宗、別名“暴れん坊将軍”の時代には、「鷹狩り」が復活した。「生類憐れみの令」を重んじ、鷹狩りをする場所には、多くの桜や桃が植えられたんだそうだ。中野から高円寺へ向かうエリア(中野3丁目)は当時“桃園”と呼ばれた場所であり、現在その地に、吉宗公が惚れた檜の木があったとされる「一本檜稲荷神社」という、小さな稲荷神社が鎮座されている。急速に再開発が進む中野サンプラザ周辺だというのに、残念ながらこの神社は、朽ちた物悲しい姿のまま。物事の優先順位とはなんたるかを感じずにはいられない。『機動戦士ガンダム』にて、強大なビグザムに果敢に挑んだスレッガー・ロウの名セリフを引用するならば、“悲しいけど、これ現実なのよね”と言わずにはいられないほど、METALLICA“Sad But True”がこの地には流れている。

Wind Of Change

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平成最後の2019年4月末に開催された、EUROPEの来日公演。大盛況だったステージで、あの“Ninja”も演奏されたようだ。そんなスウェーデン人も大好きな「忍者」と中野は意外な接点がある。市川雷蔵主演映画や、実写化、アニメ化もされた小説『ジョーカー・ゲーム』の題材ともなった、スパイ養成機関「陸軍中野学校」。この隠密養成学校に、甲賀忍者の末裔・藤田西湖氏が教官を務められていた。門外不出の甲賀忍術が伝承されたエリート学校の石碑は、中野再開発エリア内にひっそりと建っている。因みにEUROPE初来日公演もまた、1986年の中野サンプラザであった。

Queen - Keep Yourself Alive (Official Video)

大都会・新宿からのアクセスよい立地にして、教科書にも載っている歴史があれば、マニアックな史実もある東京都中野区の中野サンプラザ周辺。観光名所とは言えないその素朴な中野区の歴史遺稿は、変わりゆく中野駅周辺、そして中野サンプラザから出てきた、汗びっちょりの真っ黒なロックTシャツ着たメタルヘッズたちをも静かに見守っていたに違いない。そんな見守られていた当時のメタルヘッズの中には、メタルを卒業してしまった者もいれば、いまなおメタル魂を貫いている者もいるのだろう。街や景観も変わる、人も変わる、そして音楽も変わる。進化と淘汰を繰り返す時代の変化に順応、空気を読むことが、いい意味でも悪い意味でも日本人らしさだったが、ネットやSNSの普及とともに、“Keep The Face”“Keep Yourself Alive”のような、ブレないアイデンティティを日本人は、これまたいい意味でも悪い意味でも抱きはじめたような気がする。

0.311 Miles Away

新しいメタルにも疎く、古きものに美徳を持ちがちの懐古主義、それでいて寺社&史跡巡りが趣味の屈折したアイデンティティの自分だけに、「建て直し」や「再開発」という言葉に、ついついネガティブに反応してしまう。しかし、地震大国ゆえの建造物老朽化の免震対策、予期せぬ事故や事件から市民を守る都市計画は、どこの自治体でも大事な課題だ。報道番組のナレーションを担当させていただいてからは、そんなニュースを読ませていただいている。そう思うと今回の“中野今昔物語”は、音楽ビジネスのこれから、輸入牛肉、動物愛護、文化遺産、個人情報漏洩など、昨今の報道ナレーション原稿に記されている問題を示唆しているかのようではないか。

DOKKEN - "Just Got Lucky" (Official Video)

地下鉄「東銀座駅」と直結している「歌舞伎座」のように、中野駅と地下で繋がるのでは?と思うほどの中野サンプラザ。“時短”という言葉が好きで、効率的に動きたがる日本人のニーズに特化した、中野サンプラザ建て替え構想もあり得るかも知れない。調べてみると、中野駅北口から中野サンプラザまでの距離、なんとジャスト500メートル! DEF LEPPARD“Let's Get Rocked”な中野サンプラザまでの道のり、わずか500メートル内で少し寄り道すれば、MOTLEY CRUE“Girls, Girls, Girls”な誘惑、OZZY OSBOURNE“Goodbye To Romance”なノスタルジック、DOKKEN“Just Got Lucky”な一攫千金などが、アナタを待っている。さぁ、“Paradise City”で“Nightless City”な中野の、あしたはどっちだ!?