ナレーションはメタラーにまかせろ Vol.1 「メタルとナレーションをカタル」

ナレーションはメタラーにまかせろ
ナレーションが組み込まれたメタルは、メタラーに受け入れられているのか?受け入れられていて欲しいと思う、現役ナレーターだからこその独自理論"メタルとナレーションの相互関係"。
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「ナレーター」という仕事は、残念ながら認知度は低く、その仕事内容はあまり知られていないような気がする。

まぁ、与えられた原稿を読むだけの仕事ではあるのだが、映像作品の演出においては情報発信の重要なポジションである。そんな仕事にまもなく20年携わらせていただくことになる自分が、ナレーター目線で、愛するメタルを綴らせていただくコラム。平成もまもなく終わり、「令和」を迎えるメタラーの皆様、お時間がある時にでも読んでいただければ嬉しい。

さて、そんな”ナレーション”とメタルについて、偏ったメタル愛を軸にこの度検証させていただいた。

まず、テレビ番組などのナレーションにおいて、本編がはじまる前に、視聴者にみどころを伝えるのがナレーターの大事な任務。この番組冒頭を、放送用語では“アバン”と呼び、視聴者にチャンネルを変えさせないために、与えられた原稿に対し、ナレーターは声色を適材適所に変え、”アバン”を演出する。

そう、このイントロまたは冒頭というのは、メタルサウンドにおいて重要ではないだろうか。アルバムの構成によっては、壮大なインストナンバーから始まり、聴き手へのアドレナリンをあげてくれている。

HELLOWEEN - PUMPKINS UNITED World Tour 2017 / 2018


昨年、日本にハロウィン旋風を巻き起こした、PUMPKINS UNITED。ワールドツアー開催前年の2016年に配信されたこの告知動画は、誰もが興奮したに違いない。なんといっても「守護神伝」の序章「Initiation」からの演出に、全身に寒気が走った。振り返れば、自分にとってのメタル入門盤、HELLOWEEN『Keeper Of The Seven Keys』、BON JOVI『Slippery When Wet』、両作ともインストナンバーから幕を開ける作品だ(初版の発禁ジャケ邦盤「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」では「Pink Framingos」)。

こうしてメタルに足を突っ込んだ昭和後半の十代のとき、見事なイントロ乗せから、リスナーへグッド・チューンを届けてくれていたラジオDJたちに、「声」の仕事への憧れを抱いたのだ。因みに”イントロ乗せ”とは、歌が始まるまでのイントロパートの尺に合わせて、アーティスト情報を絡めながら曲紹介をしていくテクニック。そのジャストフィットした絶妙なイントロ乗せこそが、マイクに向かってナレーションをしている自分の源流のような気がする。

あのJUDAS PRIEST『PAINKILLER』が発表された1990年・・・
ハレーションが強いモノクロのMVは誰もが、何度も何度も観たハズだ。実はこの「PAINKILLER」、リリース時はもうひとつ別のMVがあった。

Judas Priest [Painkiller]


灼熱の暑さの中、メタルヘッズたちを乗せた車が大渋滞にハマる・・・進まぬ車に苛立ちを隠せない彼らが聴くカーラジオから、ラジオDJのイントロダクションとともに、スコット・トラヴィスのドラミングが轟き、車内がヘドバン・パーティーになるという、MTVを意識したかのようなMV。

暴れるメタルヘッズたちの、熱を帯びた赤みのカラー映像と、そしてご存知、モノクロのメンバー映像とが交互に織り交ぜられた構成に加え、ラジオトークから始まり、ラジオトークでフェードアウトというMVは、映画「レザボアドッグス」のオープニングのような構成であり、ラジオDJにインスパイアされたナレーターの自分にとって、メタルとナレーションが見事にコラボした映像作品だと思う。

とは言ってもこの「PAINKILLER」に関しては、あくまでも映像に付随するナレーションであって、ナレーションあってのメタル楽曲に触れることこそが、今回のココでの本題だ。

それでは、イントロがナレーションから始まるメタルをひも解くと、個人的に印象深いのが、Iron Maiden「Number Of The Beast」。新約聖書のヨハネの黙示録第13章18節を重厚感ある声で読み上げるのは、イギリス出身の役者であり監督でもあった故バリー・クレイトン。

Iron Maiden - The Number Of The Beast (Official Video)


「Number Of The Beast」のイントロは、演奏なしのナレーションのみ。このようなBGM無しのナレーションというのは、"声"への信頼を感じられる我々ナレーター側からすれば名誉あること。一般的なナレーション収録は、BGMと映像を聴きながら&観ながら、ナレーターはマイクに吹き込む、例えるなら、下書きと彩色が出来上がったデザインに、太く濃くアウトラインを引くといったようなもの。

しかし、BGMも映像もなく、素の声だけのナレーション収録は、油性マジックで下書きするようなもの。実際に、映像も音も間に合わない現場もあったりする。原稿のみでナレーターの素の声だけで収録する、通称“オンリー録り”というのは、自分の声と直に向き合い、単純なようで、いまでも緊張感がある。

スティーヴ・ハリスが思い描く”獣の数字666”を静寂感と緊張感を織り交ぜて読む・・・
こういったドキュメンタリー的なナレーションは、ナレーター誰もが憧れるのだが、この空気感は、声色や経験ではない、熟練味が大事であり、1931年生まれのバリー・クレイトン、1982年「Number Of The Beast」は51歳の年輪と渋みが滲んでいる。

マイケル・ジャクソンの大名曲「スリラー」での、故ヴィンセント・プライスのナレーションや、メタリカ「Enter Sandman」、メガデス「Go To Hell」のような子守唄の語りなど、ダーク&ホラー作品にナレーションはよく合う。夏になると恐怖映像の特番が多く放送され、「お分かりいただけただろうか?」は、定番ナレーションフレーズになった気がする。当然メタルとホラーもまた相性抜群であり、”ショックロック”の元祖・アリス・クーパーの系譜により、ホラー映画全盛期には、多くの”メタルホラー”のコラボが発信された。

Manowar - Defender


対して、オルタナティブで壮大なメタルサウンドをバックにナレーションが展開される楽曲も当然ある。唯一無二の存在感を今もなお放つMANOWARの5thアルバム「Fighting the World」にて、名優にして巨匠・故オーソン・ウェルズが、ナレーターとして参加している。
このアルバム、まるで映画「フロム・ダスク・ティル・ドーン」かのように、前半と後半の世界観がガラリと変わる。個人的には、前半A面4曲が大好きなのだが、マッチョな彼ららしい”エピック・メタル”な世界観がB面5曲目から始まる。その5曲目「Defender」にて、オーソン・ウェルズの渋みあるナレーションが聴ける。

MANOWARとオーソン・ウェルズの最初の共演は、1982年発表のデビュー盤「Battle Hymns」収録曲「Dark Avenger」。この時に録られたオーソン・ウェルズの別ナレーションを、「Defender」に起用したようだ。1938年、SF小説「宇宙戦争」をラジオドラマ化させ、リアリティ溢れる演出で全米をパニックさせたというウェルズのナレーションは、ストーリーテラーのような臨場感ある”語り”であり、Queensrych「Operation Mindcrime」や、W.A.S.P.「Crimson Idol」などのコンセプトアルバムに収録されている、内に秘めた“心の声”のナレーションに近い。

感情を前面に出さず無機質に、しかし投げかける重厚なメッセージで物語を進めていく、コンセプトアルバムならではなナレーションは、報道番組やワイドショーなどでよく聞く、「声明文」を読むナレーターの技術と繋がる気がする。人物像は明確だが映像には本人は登場せず、文面だけで人物像を表現するにあたって、ナレーターは感情を交えながらも、無機質な雰囲気を出していく。これもまたナレーターが要求される“ナレーション”の仕事なのだ。

聴く者を壮大な世界へと誘うナレーション演出効いた、プログレッシブでダークなメタルサウンド。初心者にとっては、いささかな難解な構成なのだが、ナレーションプロローグに、すんなり魅了された者は、もしかすると、日本の特撮作品やアニメ、また時代劇に馴染みがあったからなのかも知れない。

時代劇「必殺仕事人」シリーズや、アニメ「新造人間キャシャーン」の劇中冒頭ナレーション・・・軽快かつ物悲しい刹那を感じながらも、エンニオ・モリコーネで幕が開けるメタリカのステージのような高揚感がある"出囃子"だ。

メタラーには、心に残る思い出のナレーションがあるのかもしれない。そして、そんなナレーターになるために、日々もがいているのだ。そんな我輩の意図、お分かりいただけただろうか?